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20240217 かもめとライオン

歌舞伎なんかを見ているとよく「この〇〇、実は××であった!」みたいな感じで、その人物の意外な正体が明かされる場面があったりする。舞台の上のパワーバランスがひっくり返ったり物語の謎が明かされたりして観客にとっては痛快だったりするのだが、個人的に客席にいてそういう場面を観ていると「これこれ、このご都合主義がたまらないのだ!」という気持ちでいっぱいになる。

▼劇中で登場人物の身分が明かされたり正体が明かされたりすると、「嘘つけぇ!」と思ってニヤニヤしてしまう。もとより歌舞伎だとあらすじをわかって観ているので「来るぞ来るぞ…来たー!!!!」という、観客としての期待やカタルシスにしっかり応えてもらっているような感覚も多分にあったりする。

▼現在稽古をしている唐十郎さんの作品の中にも「貴様、〇〇だな!?」「そういうお前は、××!」という、いかにもそれっぽいシーンがあって、舞台上に立ちながら絶えず「嘘つけ!」というツッコミを入れながら稽古を観ている。唐さんの場合はもうそれ自体を遊びでやっているのでそうした正体が明かされてもまったく物語の本筋には関係がないし、俳優が真面目に頑張れば頑張るほどに「お前が演じている役がたとえ何であっても、お前はお前だ」という、役者に対する一周まわった変な肯定感を感じるようになるので不思議だなと思ってみている。

▼日常生活だと「私は私」という状態が永遠につづくので、歌舞伎にせよ唐さんの戯曲にせよ、せめて演劇の中でくらい好きなものに変身させてくれという戯作者や観客の気持ちの現れなのだろうかと思ったりする。

▼そう考えるとチェーホフの『かもめ』で、ニーナはかもめにはなれないから、あれはやはり悲劇なのだなと思って納得する。「私はかもめ……いいえ、そうじゃない」と間髪入れずに自分で自分に突っ込みを入れてしまっているくらいなので、それはかもめにはなりようがないのだった。

▼ニーナが自分で自分をかもめだと観念するのではなくて、四幕でトレープレフが一言「君は、かもめ」と言ってあげられたら、もしかしたらニーナも、なんの比喩でもなく翼を生やして飛んでいけたのかもしれない。ニーナが翼を生やしてかもめになったら、「そういうあなたは、ライオン!?」ということでトレープレフはライオンになるのがいいだろう。金色の毛並みを生やして大地を疾駆するトレープレフが、白いかもめとなったニーナを追いかける大団円を迎える歌舞伎版『かもめ』だったら、あるいは悲劇でなくなるのかもしれない。

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