時代は、要素論から全体論へ

「性欲」というモノがあって、それが(性)行動の原因と考えるのは、「機械論」です。啓蒙の時代、合理の時代、唯物科学の時代は、そう考えてきました。唯物科学には、倫理・憧れがありません。そんな時代に生きて来た私たちは、限られた見方をしがちです。知らぬ間に、自然(physis)や色々な生命現象を「モノ」扱いしてしまいます。記号論や止観瞑想や音楽は、新しい時代の扉を開く鍵だと思っています。
 世界観があって、理論があって、技法があります。技法だけ学んでも、それは単なる技法です。

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