圭ちゃん

2022年68歳の゙夏、生まれて初めて色鉛筆で絵を描き始めました。絵画教室などには通わ…

圭ちゃん

2022年68歳の゙夏、生まれて初めて色鉛筆で絵を描き始めました。絵画教室などには通わず、全くの独学。伝統的な画法、臨画・罫画を知りました。描くことより、よく観ることを味わっています。見えることを通して、見えていなかったことを観る、自分ではそれを、止観的リアリズムと言っています。

最近の記事

零人称zero-person

    • 百尺竿頭進一歩 かたちを護り、かたちにとらわれず

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        お絵描き、あいうえお

        幼児に音楽を教えている先生によると、幼児の発声音域は、四度くらい。音を聴き分ける能力と、違う高さの音を発声する能力は別。学習で、身につけていく。お絵描きでも、同じことが言えると思う。物事を見分ける能力と、それを描く能力は別。先生方の美術教育論議も色々あろうけど、ともかく描きたいことを描けるようになるのは、模倣からだと思います。模写から始めましょう。

        • アブダクション。三界唯心。

          ネコ「今何してるニャン?」 ヒト「世間を見つめ、寂しかったりむなしかったり」 ネコ「そりゃ、あなたの数少ない経験から帰納した世界解釈ニャン。」 ヒト「小難しいこと言う猫だねえ」 ネコ「私が推論するのではなく、推論の総体が私・世間。」 ヒト「<私><世間>はないってこと?」 ネコ「仮説が変われば、世間も私も変わる」 ヒト「どうしたらいいの?」 ネコ「新たに仮説を創造すること」 ヒト「何?それ?」 ネコ「あぶだくしょん」 ヒト「え、風邪でもひいたのかい?」 ネコ「しばらく呼吸みつ

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          踏んで通れば只の草、じっと観つめりゃ分け御霊

          観る、見えるということは、不思議。見えていることは、全体の一部。五蘊皆空。色受想行識。ただ見えているのではなく、ことばが深く関っている。よく観て、見えていることの奥に、見えないものを観る。絵を描くことは、止観瞑想。急いで生きたら、人生色んなことを踏んでしまう。

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          筆洗いと美術教育

          小学校の元先生が、ある日言いました。「音楽も図工も苦手で、授業に困りました。」先生だからといって、音楽や美術が好きで、教育にも長けているとは限らないのですね。明治時代の臨画法、罫画法が否定され、大正時代からは、自由画法に代わったようです。私の限られた体験ですが、私の小学校時代は、自由というより、放任だった気がします。

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          模写は、創造への一歩

          68歳で絵を描き始め一年。全くの独学。図書館の本を参考にしました。臨画、罫線画、グリッド線模写など、初めてしりました。 師岡正典著、はじめてでも描けるペン風景画。写真をグリッド線模写する画法をしりました。模写でも、トレースする画法は、私は好みません。 よー清水著、絵がふつうに上手くなる本。 成冨ミヲリ著、絵はすぐに上手くならない。 永沢まこと著、永沢まことのとっておきスケッチ上達術。模写は、創造への一歩。小学校で教えてないのかな。

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          描き始めて一年、個人作品展

          2022年、68歳の゙夏、生まれて初めてB5の゙画用紙に、色鉛筆で絵を描き始めました。絵画教室には通わず、全くの独学。学生時代は、大の苦手だったのが、楽しんで描けるようになったのは、ここ一年に知った諸先輩のお蔭。今思うに、学生時代、私が受けた自由画教育は、放任教育だった。

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          コミュニティプラザ平野で開催中

          昨年の夏、68歳にして、生まれて初めて画用紙に色鉛筆で絵を描き始めました。一年経って、作品展。全くの独学。

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          色鉛筆・カラーボールペン画作品展開催中

          久しぶりの投稿です。https://editor.note.com/notes/nd348a745c1a8/edit/

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          66歳でピアノ独学を始めました。約630日目。

          変ホ短調・E♭mという珍しいキーで弾いています。ピアノだと弾きやすくなります。ピアノは、おそらく昭和32年製。そして、ここ30数年眠っていたもの。オーバーホールする予算がないので、このまま仲良くします。  これまでピアノの教則本、初心者向け、何冊買ったやら。教則本の著者は、大体幼い頃から弾いていたクラシック系の人。私のような歳で始め、しかも弾き語りに合った本は、少ないように思います。歌いたい曲を、間違えながらも、自分なりに楽しく工夫して、ピアノと仲良く戯れるのが、いいように思います。

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          日々是瞑想の歌

          只今、熊野の山の中の一軒家を修繕中です。その空き家で、30年休眠していたヤマハピアノ、昭和35年製、61歳と、67歳のピアノ初心者(独学で約600日目)が、オリジナル曲「日々是瞑想の歌」を歌います。  修繕中、久し振りにぎっくり腰になりました。修繕が終われば、熊野に拠点を探す人々に、間借り提供できます。  人生何が起ころうと、ゆったり生きていきましょう。  歯磨きや移動も、何かの過程、手段とせず、丁寧に味わいましょう。

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          朝の止観瞑想なむおんぬくもり

          朝の止観瞑想。生命は、遺伝子だけではつながりません。ぬくもりのあるところで、つながります。地球全体が、数千メートルの氷で覆われた全地球凍結の時も、氷の下に、ぬくもりの場所があったから、今があります。南無不可思議おんぬくもり。  地球のプレートが動くのも、ぬくもりあってのこと。  それにつけても、生命は、不思議。ことばも、不思議。

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          言葉にならないこの人生あなたは優しく抱きしめた

          この世界で起きている出来事は、全て「唯一的」な出来事です。同時に、ある出来事と別の出来事には、「類似性」を見つけることができます。  私たちが使う「ことば」は、この「唯一性」と「類似性」を基に作られています。  例えば、ある国際的な集まりで、「日本語を話せる」という類似性から、「日本人枠」を作ったとします。そこには、ドイツ語しか話せない人は、参加しないでしょう。実際の日本人枠のメンバー同士を見てみると、そこには、九州弁を話す人、大阪弁を話す人、青森弁を話す人がいたりします。 (差異性と階層性)(クラスとメンバー)(クラスとメタクラス)  このように、「ことば」は、世界で実際起きていること全てに、対応しているのではありません。  この「ことば」のお陰で、私たちは文明を発達させてきました。パソコンが、この世に存在するのは、私たちが「ことば」を使える動物だからです。  同時に、「ことば」は、錯覚も生み出してきました。「我思うゆえに、我あり」と、デカルトさんはいいましたが、「名詞」を使っているうちに、あたかもそこに「世界から独立した、主体・実体」があるかのように、勘違いします。 「林檎」も「虹」も、「時間・過去現在未来」も、「疎外」も、「自然」も、「私」も、それのみでは、この世に存在していません。  (要素論と全体論)(要素還元論と世界内存在)  人間の大きな課題「死」という言葉も、実際に起きている出来事に、全て対応している訳ではありません。 「言葉にならないこの人生、それでも言葉に託して歌う。」  学び、問いながら。 問うことを、学びながら。

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          放送禁止歌

          「放送禁止歌」 作・阪口圭一 NPO熊野みんなの家  放送禁止になりそうな表現が、含まれていますので、気になる人は、耳と目を塞いで下さい。  66歳になって、電子ピアノを独学で始めて、約600日。一ヵ所も間違えないように弾くのではなく、間違ったら、それを経過音にしてしまう弾き方をしたいと思っています。楽々ピアノ。  ピアノだけでなく、人間の暮らし全般、たった一度きりの経過音でいっぱいのように思います。過ぎたことを、いつまでも気にしていたら、動けなくなります。  その点、ミーコさんは、私の師匠です。分類上は「猫」かもしれませんが、わたしもミーコさんも、宇宙が観ている「夢」のひとつだと思っています。  一緒に、素敵な夢観ましょ。

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          抗重力筋? いえ、肯重力筋。 人生も又。

          いわゆる「本能」の例として、食欲、睡眠欲、性欲とか言われるけど、幼児を見ていると、「たつ」ことも、<内から駆り立てられる>うねりのように感じます。目的をもって、どこかに向かって、歩く以前に、「たつ」こと自体(緊張と弛緩・生と死)が、楽しくて、快感。  その時、筋肉は、重力に抗う「抗重力筋」ではなく、重力に寄り添う「肯重力筋」。「抗」か「肯」かで、その後の人生が大きく変わります。学校や一般常識では、「頑張れ、頑張れ、生きろ」という「抗」かな。「肯」だと、「遊べ、遊べ、遊びから、新しい動きが生まれる。」  ピアノの鍵盤のタッチにも「抗」と「肯」があることを、最近知りました。

          抗重力筋? いえ、肯重力筋。 人生も又。

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