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みんな、あたらしい世界の一年生。

ここ数日で自分含めて12人がOculus Quest2 を手に入れて、毎晩10人近くで遊んでいる。毎晩笑い転げていて、僕のVR中継を見た人は「何やってんだ」と思ってることだろう。変な劇団を始めるしVRで遊んでるしふざけてるようにしか見えない。でもなぜ自分がこんなに急に夢中になっているのか、真面目かつ野暮も承知で言語化しておこうと思う。

僕が「中老の男」と呼ぶ橘川幸夫さん(70)は、1970年代にロッキングオンを立ち上げ、その後、日本のサブカルチャーの常に現場にいて、僕の人生を変えた漫画家の岡崎京子さんはじめ、膨大な「時代をつくってきた人たち」との交流がある。有名人ではないがそれは意図的。渋谷陽一さんがカリスマであるのと対照的だ。

彼の根本にあるのは「生命は可能性を追い求めている」「人生で得たことを次の世代に報告していくのが生きる意味である」「全ての人が先生であり生徒だ(その中でひとりひとりが可能性を追求していく。引きこもりだって可能性のひとつ)」という思想だ。

そのための活動のひとつとして「闇大学深呼吸学部」というのがある。他者の考えや視点を吸って、自分の「言葉」として吐き出す。それによって他者の考えや気持ちを自分の中に内包する。
…これは怪しい宗教やメソッドではなく、いたって論理的かつ本質的な学びだと僕は思ってる。僕が橘川さんを師匠と呼んでいるコアの部分はそこだ。あ、本人がいないところでは「キッツー」や「あの野郎」などと呼んでるけど、それはまた別の話。

簡単に言うと、面白いおじいちゃんである。

誰よりも未知の可能性に対して貪欲で、はっきり言って年齢は面白いから言ってるだけで、「おじいちゃんの割にすごい」とかじゃない。ハッキリ言って、僕の好奇心なんかでは太刀打ちできない。最近失明して片目なのにVRで走り回り、登場した途端に周囲はそのおかしさに爆笑する。

本人が最近一番面白かったことは多分中学生たちとリアル授業をしたことだと思う。橘川さんは可能性の変態なので「若い子はそれだけで可能性に満ちてる!」といつも叫んでるから、あの日はさぞかしたくさんの可能性と出会い、気絶するほど興奮していたんだろうな。目に浮かぶ。

Zoomでも平気で小中高生の輪に入っていく。「はーい!はーい!」とか手をあげてはしゃぎ出す。一方で大人のつまらないZoomだと「つまんねーな!真面目すぎだよ!」と本当につまんなさそうにしてる。

今、世界は変貌と時を迎えており、特に若い子たちは僕らおじさんおばさんとまったく違う世界を生きている。ハッキリ言うが、私たちが築き上げてきたと思っている社会システムは失敗だ。

橘川幸夫はそれを「換骨奪胎しようぜ」と表現する。今のままの社会システムのようでいて、見た目はそのままだけど中身を全て入れ替えてしまおうぜ!とさまざまな人に呼びかけ続けている。

彼は信用できる。
ユートピア思想がないのだ。

彼のことを誤解する人は「橘川さんは無茶苦茶な人だ」と言う。それは違う。極めて論理的構造的で現実的だ。彼は世界が突然新しい景色に変わるとは思っていない。あくまでもグラデーション。しかし中身を変えていく。いつのまにか違う世界へと移行していることを目指す。そのための人材に共になろうと、学び合いをする。言葉にする。立場を捨て、現場に足を運び、1:1での付き合いをする。

ひとりひとりが可能性を模索していくのがこの世界だという壮大な人類愛、生命愛を持ちながら、この短い数十年の人生を駆け抜け、次の人たちのために言葉を残す。だから毎日毎日言葉を打ち続ける。死んでもなお届くメルマガを10年分書いている。自分の命日は、自分の言葉を知る最後の一人がこの星から消えた日だと本気で思っている。

そんな彼にはシニアの友人が多い。偉くなった人もいる。お金持ちもいる。大きな組織を束ねている人もいる。

これから超高齢化社会に世界は突入する。
僕は本気でこの問題に取り組まねばと思っている。ハッキリ言って「旅芸人の一座」や「VR遊び」なんて表面上おちゃらけているだけで、僕の本気はこの橘川幸夫なる「可能性」が肉体的に消える時までにいかに対話するか、インタラクションにさまざまな報告を引き出すかにある。

また、彼の人脈から、今の社会システムの換骨奪胎に繋がる人たちと繋がりたい。だんだん彼らも肉体的自由が効かなくなる。そのときにVRや360度サウンド、骨伝導、さまざまなテクノロジーによるコミュニケーションの拡張は重要になる。

僕には、橘川幸夫とその仲間達が健在なうちに、さまざまなハンディキャップを背負っても、彼らのQoLが維持されて、若い子たちとのホットラインを構築したい。裕福なシニアであれば毎月の年金を自分が支援したいと言う20歳未満の子どもたちに横流しして欲しい。そして若い子と1:1の関係を作ってもらいたい。

これは老人介護の話ではない。
残酷なようだけど、好奇心もなく、ただ自己承認してほしい、過去の栄光にすがる老害には興味はない。

僕がもつ希望とは、年齢関係なく、私たちのこの人生において、それぞれに学び、ともに遊び、教え合い、支え合える、そして刺激や知見を与え合える大きな大きな関係を作りたいのだ。

その時に、全人口の何割もを占める高齢者の中でも、力を持ち、善きことをしたい、変化を恐れず同時代を手を繋ぎ生きていける人たちの輪を作りたい。

そのためのVRである。
目に負担がかかるなら、360度サウンドにしよう。
耳も聞こえにくいなら骨伝導にしよう。
それでもダメなら、側で手を握ろう。
仲良くなったなら、リアルでもリモートでもいい。見守ろう、看取ろう。

まだまだ私たちにはやれることがたくさんある。離れていても親友になれる。
いつでも移動せずに話し合いができるようになった。
あらゆるコストがほぼゼロになりつつある。
VRならさらに一緒にいる感じがある。

僕らは全員、「新しい世界の一年生」だと僕は思っている。コロナが切り拓いたあたらしい世界の、僕らは新入生なのだ。年齢関係なく。

そのときに、橘川幸夫本人と、今、そこに集まる仲間と、長年の彼の友人たち(年齢層高い)は、とんでもない可能性を秘めている。

その関係こそが彼が15歳くらいから追求し続けてきた「生きる意味」であり、それを次の世代に報告して、それにより人類の可能性がどんどん広がるための装置「セルモーター」なのだ。

少なくとも僕はこのことと出会えたことに深く感激している。また、50年以上ひたすらそのためだけに毎日を生きてきた橘川幸夫を尊敬するし、「これ、お前らに全部やるよ!生前贈与だ!わはは!」という事実に興奮して震える。ただ、さまざまな無茶振りには、時にクラッとしたりムカッとしたりもするが、それもまた別の話だ。

橘川さんはお金はないけど、それ以外はなんでもある。それをタダでくれるってさ!お金じゃないから税金もかからないぞ!超ラッキー!

ということで、僕がOculusを人に勧めているのは、そのための実験のひとつだからなのです。面白いからやってるんじゃない(面白いけどね)。スーパーマンはいらない。普通の人、まっとうに毎日を生きている人、名もないけど誠実に何かと向き合いってる人たちと、馬鹿みたいにたわいもない遊びをしながら、ひとつひとつ実感を掴み、いつのまにか違う世界にみんなで移行している。

そういうことを僕は目指しているのです。

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座員のコンテンツ・スキルを高め、見たこともない世界へ連れていきます。

さまざまな私塾がネットワークされたYAMI大学。橘川幸夫が学部長の「深呼吸学部」もその一つです。深呼吸学部の下の特別学科の一つが「旅芸人の…

甘党なのでサポートいただいたらその都度何か美味しいもの食べてレポートします!