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絶対相対主義者になることはできるか【エッセイ】

 私は直木賞作家である石田衣良さんのyoutube動画を定期的に聴いている。いくつものヒット作を世に送り出している衣良さんの視点や考え方を知りたいので、有料会員のメンバーにもなっている。衣良さんの視点や考え方は、自分の殻の外側にあるものだと思うからだ。そういったものにたくさん触れて、少しでも自分自身の殻を、もう少し外側に広げたいのだ。

 一週間前に、「ひろゆき」について考察する回があった。

 その中で、ひろゆきとは絶対相対主義者で、「自分」と「自分のロジック」でさえ切り離すことができる、という話題があった。

 相対的に物事を見るって、実際にやってみると難しいと思う。例えば、よく物を売る How to 系の本に書かれている話でみると、自分の作った商品や売りたい商品を説明する時、どんな素材を使っていて、どこが素晴らしいかなどを説明しがちだという。けれど、買い手はそんなことはどうでもよくて、どんな風に自分に役立つかを知りたいという解説がある。

 自分の作ったものに対して、自分の人生や価値観に対して、自分の仕事や人付き合いの方法に対して。私たちはそれぞれが楽しんだり、工夫をしたり、努力をしたり、我慢をしたりして生きている。自分の持つロジックとは、生きる中で育ててきた、生きる術とも言い換えられるかもしれない。それは無意識的に大事にしているものかもしれない。
 自分のロジックとは違うロジックを持つ相手が現れた時、自分と自分のロジックを切り離し、相手のロジックを受け入れたり、尊重したりを簡単にできるだろうか。できる人の方が少ないんじゃないかなぁと思う。
 今の世の中の変化は、ものすごいスピードで起こっている。私が生きている間だけでも、パーソナルコンピューターや携帯電話が無かった時代から、今はAIに仕事を奪われると言われる時代になっているのだから。世代や性別などの属性によって異なるロジックを持っているだろう、と簡単に想像できる。

 ひろゆきを時代が求めるというのは、やはり若い人を中心にした今の時代を生きる人々が「外に出ると、自分のロジックとは異なるロジックを持つ人々(古い世代)に囲まれ苦痛である」ということを主張しているのだろうか。

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