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面白さのレベルとは何だろう【エッセイ】

 とある小説家の方が、YouTube動画の中で「自分が感じる面白さのレベルを上げていかないと、小説家になるのは難しい」というようなことを言われていた。この場合の「面白さのレベル」とはなんだろう? 
 私は面白さのレベルが高いとは、例えばネットや本で調べても、たどり着けない、分からない、創作的な要素を指すのではないかと思った。

 最近、ChatGPTを使って掌編小説を作る練習をしている。ChatGPTに「三題噺の練習をしたいので、人物、場所、テーマの3つのキーワードを出してください」とお願いする。出されたテーマで掌編小説を書いて、その内容を講評してもらうのだ。
(興味がある方は、こちら↓の記事を参照ください)

 いくつか数をこなして、気がついたことがある。私が面白い!と思ってひらめいたアイデアは、すべて過去に読んだ小説からのものだった。それらは物語の設定や登場人物の関係性、予想外の展開などで、共通しているのは、調べて分かる知識ではない独自の要素ということだ。つまり、私が面白いと思ったアイディアはすべて創作的なものだった。

 一方、私は薬剤師なので、健康や医薬品について少しは知識がある。こういった調べれば分かる知識は、面白い!と思ったアイディアの中には、一つも含まれていなかった。どちらかといえば、ひらめいたアイディアが完全なパクリにならないように、私のアイデアとして修正し個別化する際に役立った。「手に取ったこの本」を読まなくても「調べれば分かる知識」は、「面白さ」ではなく「創作的なアイデアを肉付けするもの」なのかもしれない。

 この解釈でいくと、私の中の面白さのレベルは悲しいけれどド平凡だ。自分自身の創造性を育むために、これからもさまざまな本を読むことを積極的に取り組もうと思う。自分が感じる面白さのレベルを、少しでも高めるために。

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