![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/83110735/rectangle_large_type_2_5a63558ff13ac0cce19cd8e8f87067d7.jpeg?width=1200)
【読書記録】夜の側に立つ
友人が「ひと、は温かさがあるのに、この本は最後まで救いが無くて意外だった」と言っていた。それを聞いてから読んだので、救いについて感じたことを書きたいと思う。
作者は小野寺史宣さん。
この作者の本は「ひと」に続いて二冊目。
あらすじ
この本は親友を無くした一人の男性の40歳までの時間を描いた物語だ。
本の裏の紹介文はこんな感じ。
ここだけ読んでも暗めな雰囲気が漂う。
その夜、親友が湖で命を落とした。高校で組んだバンドのメンバーが集まった宴での出来事だった。生徒会長の信明、副会長だった昌子、元バスケ部の壮介、吹奏楽部の君香。彼らは当時、スターのように輝いて見えた。22年という歳月を行き来しつつ語られる、恋、別れ、喪失。そして、秘密。人生を歩む道程であなたが味わう喜怒哀楽、そのすべてがここにある。作家としての成熟を表す、記念碑的長篇小説。
以下ネタバレ含みます
冒頭
本の初っ端に死んでしまう壮介。
以後はどうして死んでしまったのか、その経緯を探ってページをめくることになる。
死に対して
俺が死んだらよかった
と後ろめたさを感じている、その意味を知るためだ。
壮介の二面性
ストーリーの中で強調されていたのが、壮介の二面的な性格だと思う
壮介に対するまず最初の印象は、地下鉄で人命救助をするシーンで決定づけられた。社交的で人徳的で、かっこいい。
一方で、近所の高齢者のために犬の散歩をしつつ、その犬を蹴るシーン。全く擁護しようのない、壊れた内面も抱えている。
犬のシーンは大人になってなので、高校生で未成年飲酒したり、バイク乗ったり、そうした小さな悪事をしてしまう心のバランスが大人になってエスカレートしたのだと思う。
校則を破ったり年上の教師に母の存在を無意識に求めたり。人徳的な面と危ういバランスをずっと取っているんだろうな。
スターではない方としての主人公
壮介に比べて受け身で、暗いところにいると自覚している主人公。バンドも自分以外全員スターと評して、自分を卑下する。結婚式での会話は、自分だけ恋人がおらず孤独感とずっと光の当たらない様子が際立つ。
また、地下鉄のシーンでは壮介のように飛び出せなかった自分を情けなく感じて君香を諦めている。
このエピソードも、高校生の時に自分では不釣り合いだと君香を拒んだ時の延長線にあると思う。
変わらないもの
2人とも高校生から変わらないものは、暗くてどうしようもない面だ。
読んでて辛いのが、この暗くてどうしようもない面は物語の最後まで改善されず、むしろ深刻になり続ける所だ。
壮介は犬だけでなく君香に暴力をふるうようになる。
野本は君香を暴力から守れず(守らず)、ボートから落ちた後は壮介に助けられる
水の中で自分の命より優先して野本を助けようとする壮介に対し、かなわない、と思う。地下鉄で先を越されたように、また人徳の差を感じる。殺意があったことも相まって。
後悔ややるせなさの気分と共に、冒頭の野本の台詞に納得する。
自分が選ばなかった、考えなかったから今の人生になった。
気付いて後悔する気持ちは、「この世界の片隅に」に出てくる、周りの人たちが死んでしまってから自分の愚かさを後悔する気持ちに近いと思う。
自分から動かない者に救いも何もない。暗いまま。という感じがする。
それをずっと受け入れてるつもりなのに、決定的な出来事で生き方を後悔する、胸をえぐられる感じがする。
物語の終わりについて
でも最後、壮介が死んでしまった後の物語を、たった2ページだけ続けることを許されている。
壮介は戻ってこないが、君香とその子供に対して後悔した後の自分が接する時間がある。
後悔できる時間があることは、この物語の救いだと思った。
一読して分からなかった所。救いのなさにも見える
ここまで書いたように、壮介と少し君香の関係性で最後まで読んだ。しかし、少し腑に落ちないのが、タイトルが「夜の側に立つ」で、壮介を手に掛けようとするボートの上のシーンでその回収がなされるということだ。
ボートからキャンプ場の光を見て、間違いなく夜の側に立っていると強く感じる主人公。次に、
もう考えない。破壊衝動の様なものが、ただある。その昔成瀬さんにもおそらくあったものだ。
と言っている。
成瀬さんにもあるような、というのが気になる。18歳のシーンは何度も振り返って相当なトラウマになっていることが分かるけど、成瀬さん側の心を理解するような描写はここにしかない。
主人公にとっては夜の側に立つことになってしまった、暗い側の人生に落ちてしまったきっかけのはずが、自分も破壊衝動を身に宿してさらに暗い方へ進める側になってしまう。
これは忌避していた方の主体性のはずだ。忌避していても因果で行きついてしまった、ということだと思う。
だから、それを理解してしまったシーンは、圧倒的に救いがない。その後の人生は破壊衝動を理解してしまった側の人生だからだ。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?