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【映画記録】ドライブ・マイ・カー

春樹さんの本を読むような、心地よい映像だった                 
※感想ですが、少しネタバレ含みます

三時間分のポストカードみたいな映像

原作の著者、村上春樹さんの本が好きだ(この映画の原作は読んでいない)。本を読み進めるとき、すっと入ってくるような文体のそのリズムが心地よい。長編では、そうして淡々とストーリーが進んでいく中に、テーマが散りばめられている。書きすぎでも省きすぎでもない独特の語りが、素敵だと思う。

「ドライブ・マイ・カー」を見ている間は、春樹さんの文を読んでいる時間のようだった。少し褪せたような青くて白い風景と、鮮かな赤の車。映画のどこの時間を切り取っても、ポストカードになりそうだ。だから、三時間の映画でも、三時間かけて物語を語られるという以上に、綺麗な映像体験に三時間浸れるという感覚だった。

圧巻の無音シーン

複数の言語で一つの脚本を演じるちょっと変わった劇。演者の一人は、手話で役を演じる。私は演劇にも手話にもあまり詳しくはないが、長尺のセリフを手話で語り掛けるシーンは、無音とは思えない手話と演技の力強さに圧倒された。
演劇は舞台上で役者が演じる演技を観客に見てもらうものだ。だから舞台上のセリフは脚本上では他の役者に向けられているもので、その様子を観客が俯瞰する形になる。手話の演技はこの役者と観客の構図を打ち破ってきた。ソーニャがワーニャに対して後ろから抱き着く格好で、手話で語り掛ける。ワーニャに見えるように、彼の体の前で、彼の体を使って。これによって、ワーニャに話していると同時に、同じ方向にいる私たち観客にも直接語り掛けているようだった。
音声でなくてもこんなに伝わるんだなあと、引き込まれたシーンだった。

向き合うことで進む物語

音に対し、「心のどこかに黒い部分があって、見ることができない」と言う家福。もやもやとした問題を認識しつつも、解決しないまま亡くなってしまった。
しかし高槻から、音にそのことを聞いてみたことはあるか、見てほしかったのではないかと問われる。家福の知らない、音の夢の続きが伝えられる。

思いを寄せる男子生徒の家に何度も侵入する女子高生。部屋に侵入するたびに何か印を残していくが、だんだんと残すものがエスカレートしてゆく。男子生徒への思いが我慢しきれなくなり、さすがに動揺するであろう、明らかな印を残し、全てを暴露しようと決めた日。彼女の予想とは裏腹に、男子生徒は平然とした生活を送っていた。何度も何度も印を送っているのに、一度も彼女に振り向かない。男子生徒の心に入ることはできなかったのだ。

音は振り向いて欲しかったのかもしれないと、家福は気付く。そして自分の心に向き合っていないことを実感する。音の心も、自分の心も、高槻の心も、目を向けないまま時間が止まっていた。

目を向けて、時間を進める背中を押してくれたのは、共に北海道を訪れた渡利の言葉だったと思う。

「音さんは普通の人に思います」「そう思うのって、駄目でしょうか」
(セリフは正確でないかもしれない)

この言葉を聞いて、家福の胸には音への愛と別れの悲しみが溢れてくる。自分の心に向き合って、押し込めていた相手への思いが一気に見えたんだと思う。

それぞれの方法で停滞していた時間を進める登場人物たち

高槻の代役を引き受けることで、引退した役者業に戻る家福。
家福に過去を告白し、また制御できない自己を認めて警察へ行く高槻。
渡利はドライバーから仕事を変えたようだ。新転地で微笑みながら赤い車を走らせる。ゴミ収集車、専属ドライバーの次は、何するんだろうな。

未来が明るいかはわからない。でも、向き合う決心をした三人は、時間を進めていく。正直に付き合うのは、力強い。


余談

運転をべた褒めされたときの渡利さん(三浦透子さん)、超いい


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