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OOUIとIUIの決定的な差

本記事ではOOUIとIUIという二つのUI概念と、哲学を学んだからこそ得られた内容を共有したいと思います。

OOUIとIUI

はじめに、OOUIとIUIという二つのUI概念を簡単に紹介します。

OOUI(Object Oriented UI)
「ユーザーの関心対象をユーザーの目の前に提示し、ユーザーに自由に操作してもらうUI」OOUIのエッセンスを私なりに抜き出すとこのような感じです。現実世界との関係やプログラム言語との関係など特筆すべきことは他にもあるのですが、今回の記事では関係がないので省きます。
OOUIは昔からあった概念ですが、近年注目を浴び直しているそうです。

IUI(Inductive UI)
「ユーザーのタスクを明示し、ユーザーがタスクに集中でき、タスクを確実にこなせるUI」IUIはこのようなものと私は理解しています。
Microsoftが提示している概念で、UIが使い辛い理由を分析してうまれた概念だそうです。恥ずかしながらWindows用アプリケーションを多数デザインしてきましたが、最近になって知りました。

私はいずれかの概念が上位互換ではなく、それぞれに優れた点と劣った点があると考えています。
例えば、エキスパートユーザーが多いことが想定されるソフトではユーザーの自由度が高いOOUIが適していると思いますし、ユーザーが時々使うことが想定されるソフトや提携業務が多いソフトではタスクをこなしやすいIUIが適していると思います。

言語哲学とUI

次に、言語哲学とUIの話をします。
急に個人の話で申し訳ありませんが、私はある分野で学んだ概念を別の分野に適用して、新たな視点を得ることが好きです。
数ヶ月前に言語哲学で得られた知識を基にUIを捉え直してみたことがありました。
そこにおいて、私は次のように考えていました。「UIとユーザーの関係は、話し手と聞き手の関係である」と。つまり、UIを「ユーザーがコンピュータと行う会話のキャッチボール的なもの」と捉える視点です。
ユーザーは(メタファーとしての)話し手にも聞き手にもなります。詳細は割愛しますが、それらの関係を行き来して、ユーザーは会話としてのUIを使用するという内容です。この考え方で非常にユニークなUI解釈を得られたと感じています。その内容は、別の記事で紹介したいと思います。

協調原理とUI

続いて、UIが会話であるならば、「ポール・グライスの協調原理と会話の格律」を参考にして、UIを構築できるのではないかと考えつきました。
まず、引用します。

協調原理
参加している会話で受容されている目的や方向が、その段階で求めていることに従って、発話を行え。

会話の格率

量(Quantity)
・求められているだけの情報を持つ発話をせよ。
・求められている以上に情報を持つ発話をするな。
質(Quality)
・偽であると信じていることを言うな。
・十分な証拠を欠いていることを言うな。
関係(Relation)
・関連性を持て。
様態(Manner)
・曖昧な表現を避けよ。
・多義的になることを避けよ。
・簡潔たれ。
・順序立てよ。

「ポール・グライス」(2021年3月10日 (水) 21:19 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ポール・グライス

「この原理が暗に守られていると会話の参加者が理解した上で、各人に会話は解釈されている」と言う感じでしょうか。円滑な会話のためには格率を守れば良いですし、逆に格率を破れば皮肉や冗談などを生み出すことに繋がります。

UIの話に戻ります。
私の狙いは次の通りです。まずは、UIの設計にこの原理をものさしとして使うことで、UI設計の適切さを測れるのではないか、ということ。ここからが面白いのですが、あえてこの原理を破ったUIを設計することで、皮肉や冗談などのウィットに富んだUIを作れるのではないか、ということです。その内容は、別の記事で紹介したいと思います。

道具としてのOOUI、会話としてのIUI

ところが、ここで初めて気づいたのです。OOUIには協調原理を適用できないのです。
みなさんには当たり前のことかもしれませんが、OOUIは物言わぬ道具としてのUI概念なのです。
OOUIの道具性は多くの場所で語られてきてはいたと思いますが、IUIと比較して初めて、会話ではなく道具ということが浮き彫りになったのです。
同時に、IUIは非常に会話的なUIであることも見えてきたのです。

長くなりましたので、今回はこの気づきまでにしておきます。
次回はOOUIのような道具概念のUI、IUIのような会話概念のUIの違いについて書きたいと思います。

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