こまごましたメモ19

終わりが実際来る前から、終わった後の日常に自分が慣れているのが簡単に想像できる。今のことをほとんど思い出せなくなることもわかってる。
やさぐれて俯瞰した諦観というよりは、もっと穏やかで切ないビジョン。
おかあさんといっしょから、あつこおねえさんとガラピコぷーが卒業決定したというニュースで。

3.11のドキュメンタリー見た時のダメージは予想に反して年々大きくなってる。自分が子供を持つ身になったというのはもちろんでかい。戦争やってるこの状況で11年前の地震の特集をやり続けるNHKに対して、特に若い人にはすごい違和感持つ人もいるだろう。
国内に大きな災害のあった日付を記念して毎年テレビを見て胸を痛め、祈るというさまは少し引いて見るとすごい、わけわからん宗教とか、洗脳された独裁国家の国民っぽさがある。
このまままた10年とか経つと、あれを直接知らない世代との気持ちの乖離はさらに大きくなるんだと思う。今後10年のうちに同じくらいかもっとひどい災害がなければ、という話だけど。

春が来るのが一年で一番待ち遠しいけれども、春の嬉しさの幹は寒さがなくなることにあって、春の特性だけ頑張って切り出して考えてみるとまあいいとこ悪いとこ半々かもせん。花粉と砂埃で五感がモワンとするし。
手元にない時は欲しくてたまらないのにいざ手に入ると感動が続かないって構図は枚挙にいとまがない。懐かしいあの場所に行きたい、とかもそう。
逆から考えれば、貧すれば鈍するということにも通じる。テンポ良く満たされてしまえばスイと次に進んでいけるはずの、進んでいかなくてはいけないはずのステップは死ぬほどたくさんあるのに、ある一つの満たされなさに拘泥せざるを得ない状況に長いこといると良いテンポというのがどんなだったかも忘れちゃう。躓くなというのは無理だとしても、なお難しいのは自分で自分の固執を取り払うことになるんだろうけど、省みてやっぱりどうにもならなかったよなあという思いばかり。
季節というのは何もしなくても生きてれば巡るので、春を待つ気持ちはみんなに共通の、せめてもの慰みなんだよな。季節を何かに例えることをせず、ただ寒さが過ぎるのを待つという素直な諦めが必要な時期もあるんだろう。

早すぎて空振った人たち、がおれたちの想像の500倍いる

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