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短歌を送り始めました

短歌を作り始めてから間もないですが、少しずつ、短歌を募集しているところへ送ってみています。
そっと、恐る恐る差し出すような感じです。
いかがでしょうか……。っていう感じ。
これまでnoteを書くのに当てていた通勤時間が、短歌を書く時間に変わり、noteの更新が前ほど頻繁ではなくなってきましたが、7月から、一応は毎週続けてきて、多分もうすぐ30週連続更新とかになりそうです。
こんなにだらだらと続くとは思わなかった。
何にも考えず、読者のことも考えず、ただただ自分の思ったことを垂れ流しているだけだからだろうな。
続ける秘訣はありますか? と訊かれたら、「ありません」と。
続けることは難しいと言いますが、続けられることだけ続ければいいんじゃないかな。
長く続くことって、なんとなく続いちゃって、気づいたら時間がとても経っていたってものが多いような気がしますから。
そりゃあ、頑張って、歯を食いしばって、汗水垂らして続けてきたってものも、たくさんあるでしょうけどね。
息をするように、滑らかに、自然と、自分の一部としてあるものが、細く長く、生命のように続いてゆく気がします。

前回、紙の本を久しぶりに買ったと書きました。
昨日、またしても買いました。
萩原慎一郎さんの歌集『滑走路』と、木下龍也さんの『天才による凡人のための短歌教室』です。
ちょっと前から話題がずっと続いていて申し訳ないのですが、この2冊は、ぜひそばにいてほしかった。
手元に置いておきたい、じゃない。
そばにいてほしい、です。
生きていくことの美しさやささくれが、詰まっている気がしたもので。

いつか、いつか僕の作った短歌が、誰かに褒めてもらえるような日が来たとして、それはいったい何月何日のことなのだろう。
そんな日は永遠にこないようにも思えるし、いつかきたら泣いて喜ぶんだろうな。
きっと奥さんに報告するだろう。
誰かが僕の短歌を読んでくれた!と。
文学フリマに出るようになってから、前回買った小説が好きだったからとまた来てくれた人がいた。
嬉しすぎました。
そういう瞬間が、小説から短歌へ鞍替えした小さな裏切り者にも、また訪れますように。
そうやってまた、僕を生かしてくださいと、バカみたいに祈るのでした。

パーカーのフードの中に吉報がほんやりかかるふつうの真昼
かの道にいたずらっ子が描いていたあっちょんペーを唱えて、仕事


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