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くるしさだけで書かなくていい

2月18日から20日まで、伊勢神宮へお参りにいってきました。
お世話になっている飲み屋のマスターが毎年行っていて、勧めてくれたので。
まさか自分が、生きているうちに伊勢神宮に興味を持って、そしてわざわざ2泊3日もの旅程を確保してお参りに行くとは思ってなかった。
お伊勢さんに呼ばれたっていうほどじゃないだろうけど、マスターと出会ってなかったら、月曜に有休が取れるくらい仕事を頑張ってなかったら、今の奥さんと出会ってなかったら、今住んでいる街をあの時選ばなかったら、って考え出したら止まらなくなってしまった。
すごく不思議な縁とタイミングが幾重にもなって、お伊勢さんまで連れて行ってくれたんだろうと思う。もしくは「行かせてもらった」かな。
そんなこんなで伊勢にいる間は、いろんなことに感謝する時間でもありました。

第二歌集について。
表紙が決まりました。

短歌を始めるまで、文章は苦しさとか辛さとか、絶望みたいなものからしか生まれないと思ってた。
むしろそういうものからしか生んじゃいけない気がしていた。
いい文章、本物の文章を書くには不幸じゃないといけない、と。
そんな勘違いを、短歌は少しずつ直して、誤解を解いていってくれたように思う。短歌のおかげで、僕の中でちょっとずつずれたり合わなかったり、ねじれていたりした物事が、かち、かち、と上手くはまったのかもしれない。
あのね、そんな風にして書かなくていいんだよ。あなた、文章を書くことの自分にとっての意味をちゃんと分かってないんじゃないの、なんて。

残しておきたいと思ったことを、書けばいい。
今はそう思います。
素敵なことはもちろん、切ないことでもいい。誰かとの別れでもいい。この先の未来に持っていきたいと思ったことなら、なんでも文章(短歌)にして持っていけばいい。
そう考えられるようになってから、辛い気持ちだけで、苦しい感情だけで文章に向かうことがなくなった。何かを書いて表現したい時、怒りや悲しみを燃え上がらせることもなくなった。
そういう書き方や作り方をしても、応えてくれる文章というのは必ずある。
今回作る歌集に、ひとつでも多く、そういう歌があればいいなと思う。

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