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もうすぐ4才。「ごめんね。」が言えなかった日。

お正月休みの暖かい日。帰省した地元の友人たちと子どもを連れて集まった。1才と3才の子どもを連れた友人は夫婦で来て、夫さんが私のお子を含む3才児二人を見てくれていた。私たち母と赤ちゃんたちは室内で遊びながらお話。ガラス越しに外で遊ぶ子どもたちに目をやったりしていた。

しばらく話に夢中で、ふと気づくとお子がいない。間もなくお子が落ち着かない様子で私の元へ走ってきた。手足は落ち着きなく動いているのに、体は堅い様子。絶え間なく言葉を発しているが、内容が掴めない。何かあったな、と思って私も一緒に外へ出た。

線路沿いのベンチで友人の子どもがお父さんに抱っこされて泣いていた。(あーこれか。)と思ったけど何が起こったのかは分からない。お父さんに「どうしたんですか?」と尋ねると、「子ども同士のやり取りで。」と私に遠慮されながら泣いている子どもをなだめている。

一方、お子は相変わらず落ち着きのない様子で動き回っており、「ママあっち行って。」と繰り返している。友だちを泣かしてしまった、どうしよう、僕が悪い、ママに怒られる、でもママの力を借りたい。色んな気持ちが混じってパニックになっているな、と私は感じた。

「そっか、しょうごはお友だちのことが気になるんよね。やからママのところに来たっちゃろ。」と話しかけるが、「ママあっち行って。」を繰り返して落ち着きなく動くばかり。一旦、お子と一緒に場を離れてみることにした。

抵抗するお子を抱いて、泣いているお友だちの姿が見えない場所に移動する。背中をなでながら、「気になるんだよね。ママ怒らないよ。大丈夫だよ。怖くないよ。落ち着こう。」と声をかけていると、しばらくしてお子が「しょうごが悪かった。」と言った。「そっか。悪いと思ったんだね。お友だちになんて言ったらいいかな。」と言ってみたけれど、「言えない。ママが言って。」と。

「悪かった。」という気持ちがあって、それを認めて口にできただけで十分だと私は感じた。心から抱きしめてあげたいと思った。そこでお子を連れて泣いているお友だちの元へ戻り、私からその子に謝った。その子は一旦落ち着いて泣き止んでいたのが、思い出してしまったみたいで、また再び泣き始めてしまう。お子はそれが気になる様子で、お友だちに近づいてみたり遠ざかってみたり。言葉を発してはみるけど言いきれない様子で、何と言えばいいかためらっているように見えた。

「『ごめんね。』を言いなさい。」は言いたくなかった。だから、どうなるか見ていることにした。間もなく電車が通る。お友だちは泣き止み、駅のフェンス下にあるブロックに登った。お子も自然とお友だちの横に並んで電車を見つめる。電車が通り過ぎると、二人は再び一緒に遊び始めた。子どもっていいな、と思った。言葉はなくても、心の通い合いというのか、コミュニケーションが成り立っている。

後でお父さんに詳しく聞いたところによると、すべり台をお子が一人で使いたがり、お友だちに使わせなかったらしい。帰りの車内でお子が「〇〇ちゃんにやさしくできなかった。」と言った。母はその気持ちがあることで十分だ、と思った。きっとお友だちにも伝わっているよ。次は「ごめんね。」が言えるといいね。

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