過干渉にならずに子どもを見守る

 「子どもたちの命にかかわること以外は大人が口出しをせず見守る」という方針がある「サタデースクール」に先日参加した。このスクールは市民有志が立ち上げたもので、「遊ぶこと=学ぶこと=生きること」をコンセプトとしている。

 少し遅れて行った私たちを数人が迎えてくださったのだが、お子はもじもじと恥ずかしそうに、私がはいているズボンの裾陰に隠れていた。しかし、それもほんの少しの間のこと。手を引いて外へ出るとすぐにみんなの中に自然と溶け込み、私から離れて思いきり遊びはじめた。

 見ていると、お子は木の棒を拾って持ち歩いている。親としては誰かを怪我させやしまいかとひやひやするのだが、お子は「人に当てたらいけない」ということは理解しているらしい。私は過干渉にならないように建物の中から見守ったり、一緒にいる大人の方々に任せて目を離してみたりする。

 それでも私は気になって仕方がない。建物の近くを車が通れば「車にはねられやしないか」と見に行かずにはいられないし、「大人の方に迷惑をかけてはいないか」「ケガなどしてはいまいか」と気が気じゃない。

 周りの大人を見ると、誰もそんな様子はない。室内にいる親たちはそれぞれ話をしていたり、工作にいそしんでいる。未就学児のお子さんが少ないこともあるだろうが、それにしても私とほかの大人たちの違いは大きい。

 いま振り返ると、私はお子のことに気を取られてばかりで、自分の目の前のことを楽しめていなかった。目の前でほかの保護者が工作を楽しんでいるのに、私はそれに参加しようとしなかったのだ。

 親は自分が目の前のことに没頭できていないと、適度に子どもを放っておくことがむずかしくなるのかもしれない。もちろん適切に見守りながらだが、誰か大人の目があるならば、思いきって任せてしまうこともひとつ親の力量なのかもしれない。

 誰かが言っていた「子どもの世界を邪魔しない」。簡単そうで、今の私にはまだむずかしそうである。

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