田村きのこ園の右腕になりました。
はじめに
初めまして。茨城県笠間市、地域おこし協力隊の川島ひらくといいます。
はじめてnoteを書くので、自己紹介させていただきます。
大学1年生の時に就農を志し、かれこれ7年以上農業とかかわってきました。
農業のアルバイトやサークルに明け暮れ、全国の農家や学生とのたくさんの出会いがあった大学時代。農業経営を学ぶため政策金融公庫で勤めた2年間。地域おこし協力隊として地元茨城に戻ってからの1年間。紆余曲折ありながらも、「当事者(生産者)として農業にかかわりたい」という思いは曲げずに来られたのかなと思っています。
そんなところで、ご報告ですが、、、
\ 田村きのこ園の右腕になりました ! /
実は今年の1月から、地域おこし協力隊としての活動をつづけながら笠間市の「田村きのこ園」という菌床栽培の椎茸農家で椎茸を作っています。
それもただの椎茸ではありません。
直径約10㎝、手のひらほどはある大きくて肉厚な「福王しいたけ」という田村きのこ園でしか作られていない特別な椎茸です。
なぜ、椎茸なのか。
漠然と農業がしたいと思っていた私が、なぜ椎茸を作ろうと思ったのか。
それは、田村きのこ園との出会いがきっかけでした。
地域おこし協力隊のとしてのミッションは、「農業振興」、つまり地域の農業を盛り上げることです。就任当初何はともあれ地域の農業を知らなければと、市内の農家を訪問し、話を伺うことから始めました。
その中で、先輩協力隊の紹介で出会ったのが田村きのこ園の田村仁久郎さん(81)でした。
1957年。田村さんは18歳のころ、まだ一般家庭で食卓に上がることは稀だった椎茸の栽培をはじめ、これまで60年以上椎茸を作り続けてきました。
「食べものは美味しくなきゃだめだ」「美味しいものを食べている時が一番幸せ」と仰る田村さんが60年間大切にしてきたのは、「本当においしいと思える椎茸」です。おいしさを追求して研究していった結果、市場の規格には到底合わない巨大な椎茸にたどり着きました。
その努力が認められ、過去には天皇陛下への献上品となり、最近では寝台列車「四季島」の食材として使用されるなど、料理人から高い評価を得ています。
一方で、田村さん自身80歳を超え、体の痛みもあり、椎茸作りをやめることを考えていました。
初めて椎茸を食べさせていただいたとき、こんなにもおいしい椎茸が茨城にあったこと、そしてなによりそんな素晴らしい食材がなくなろうとしていることに私は大きなショックを受けました。
そしてその後も田村さんと顔を合わせるうちに、「なんとかこの椎茸を残したい」と思うようになっていきました。
この味を100年先へ
そして今年の1月、田村さんのところに伺い、「椎茸の作り方を教えてください」と弟子入りを志願。田村さんも一言「そうだよな」と言って、笑って迎え入れてくれました。
それから3月まで、菌床栽培の椎茸農家にとって一番忙しい菌床の仕込みを二人で協力して乗り越えました。
そして、お彼岸を過ぎた9月後半、自分で仕込んだ椎茸の収穫が始まりました。
今年もまた、初めて食べた時のような大きくて立派な椎茸が次々と出てきています。
今の目標は、田村きのこ園の椎茸を100年後、自分の次の世代にまで残すことです。
そのために今やっていること、やらなければならないことをこれからも発信し続けていきたいと思います。
田村きのこ園の福王しいたけをたくさんの人に食べてほしい!
今まで、農園に来ないと買えなかった福王しいたけをたくさんの人にたくさんの人に食べてもらいたいと思い、ネットショップをオープンしました!
七輪で焼いてバターと醤油をかける食べ方が私の一番のお気に入りです!
アワビにもたとえられる肉厚な食感と、噛んだ瞬間あふれる旨味をぜひご堪能ください!
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