我が子同然の商品の出会いで人と家族を幸せに|株式会社ヒラクオン 中島隆文の想い
みなさま、初めまして。
株式会社ヒラクオン 代表取締役の中島 隆文と申します。
弊社は、営業代行とプロモーション代行を行っております。
このnoteでは、弊社の事業内容や実績、これからの展望について語っていくつもりをしています。
まずは弊社事業の詳細について詳しくお話出来ればと考え、このページを綴りました。
ぜひお付き合いいただけますと幸いです。
株式会社ヒラクオンの事業
冒頭でもお伝えしましたが、弊社は営業代行とプロモーション代行の2方面で事業を展開しております。
その詳細について、少しだけお伝え出来ますと幸いです。
営業代行
お客様の持っている講座やスクールの営業を代わりに行う、弊社の祖業ともいえる事業です。
一般的な営業代行というと、見込み客を見つけて商談し、成約すればそこで役目は終了となります。
ですが、弊社は集客や商談はもちろんのこと、集客につながるセミナーの運営や講座の講師として関われるのが強みです。
実際、現在でも講師として関わっている講座もございます。
気になる方は、お気軽にご相談ください。
プロモーション代行
お客様の商品やサービスにつなげるためのLP(ランディングページ)や動画を作成を、まるっと弊社がお受けする事業です。
商品はあるけど集客ツールがない、時間がなくて集客のための導線が作れないという方向けのサービスです。
弊社が提携しているクリエイターとともに、今ある商品・サービスのプロモーションや集客に役立つ手法をご提案して作成し、実際に使って集客します。
時間がなくて集客ツールや販路の拡大が出来ていないという方にぜひご利用いただきたいサービスです。
仕事への想い
今でこそ人と話すのが大好きで、営業を仕事にしている私ですが、実は大学生になるまで極度の人見知りでした。
それがなぜ、人と関わり、営業やプロモーションという方向に向かっていくことになったのでしょうか。
私が今の仕事を始めた略歴を、簡単にではありますがお伝えします。
安定を捨てた先にあった挫折
私の家は代々医療従事者が多い家系で、私も薬学に興味があったために薬科大学へと進学しました。
当初人見知りだった私は、友人伝手に社会人の集まりに呼んでもらい、そこで「人と会った回数が少ないから人見知りなだけ」というアドバイスをもらったことでビジネススクールに入りました。
そして人前でしゃべれるようになっていき、どんどんと自信がついていったんです。
ほぼ同時期に憧れの人との出会いをきっかけに予防医学にも興味を持ちはじめ、学生団体として予防医学の知見を深める会を作るなど、精力的に活動。
昔の自分から見れば、信じられないほどの変化です。
就職活動の時も予防医学一本で行くことを決め、入社したかった企業から内定をいただくことも出来ました。
製薬会社からも内定をもらっていましたが、どうしても予防医学に携わる仕事がしたかったのです。
内定承諾書を出さなければならなかったので、両親に「こっちの会社に行く」と正直に伝えました。
すると、父も母も喜んではくれなかったのです。
母に至っては私の目の前で泣き、今まで喧嘩をしたことがなかった両親と初めて喧嘩することになったのです。
「学生時代の経験もあるし、自分なら行けるだろう」と考えていましたが、結局、入社8か月で心身を休めるために退職。
この間に何があったのかは、また別のnoteでお話しようと思います。
そんな状態でしたが、ひとまず経済的な安定を求めて、製薬業界に再就職することにしました。
当時の私は、すでに大学卒業時に持っていた自信をすっかり失っていたのです。
働き方を変えた、成果が出た
転職先は、既存の薬を長期投与したらどのような変化が体に起こるのかを調べる臨床研究をしていました。
営業先は病院などで、7年ほど続けていました。
経済的にもゆとりが出来てきた6年目のころに、私は転職したころから始めていたサプリメント販売する副業で独立を考え始めます。
学生時代からやりたかった予防医学に近い領域で、将来的な独立も視野に、上司に掛け合って働き方を変えることもできました。
もともと独立に関しては、学生時代に知り合った方の影響で「やってみたい」という思いはありました。
それを実現するために働き方まで変え、ついに2020年5月に独立を果たします。
高額のバックエンド商材まで用意して、準備は万端でした。
…しかし、これがまったく売れない。貯金も目減りしていく一方のなか、私はビジネスの先生にアドバイスを求めました。
すると先生は「営業代行という働き方があるけど、興味あるかい?」と一言。
私自身も興味があったので、独立した年の11月に営業代行の事業を開始しました。
変更後は営業の日々でしたが、徐々にあることが気になりだします。
当時付き合っていた彼女(今の妻)とは「3か月連続で30万円の利益を出せなければ会社員に戻る」という約束です。
「これではまずい」と思っていた矢先、ビジネスの先生が立ち上げたコンサルティングを受けることに。
期限が迫っているところを彼女に頭を下げ、コンサルを受けることにしたのです。
結果、そのコンサルを受けて成功。
フリーになって初めて安定的に稼ぐことの楽しさを知りました。
現在では営業代行だけではなく、プロモーションの代行も開始。
彼女とも結ばれて事業も法人化し、今に至ります。
家族もお客様も大事にできる仕事を
私の経歴は、また別の機会に詳しく深堀をしようと思います。
最後に、私が目指すお客様と自分の将来と仕事のあり方についてお話させてください。
お客様との永い付き合い、そのきっかけは父
お仕事をご依頼いただいた方からは「中島さんと一緒にやっていて楽しい」というお声をよくいただきます。
また、契約後にお話する機会をもらった購入者からも「中島さんのあの時の面談で決断してよかった!」と言ってもらえます。
とにかく私はお客様に喜んでもらえることが多いのですが、その考えの根幹には父の姿があることに気が付きました。
父は自動車ディーラーの営業マンで、社内でもトップセールスマンです。
お酒が好きな父なのですが、中学生くらいの時に、私はあることを父に尋ねました。
「休みの日だからお昼にお酒飲んでも良いと思うんだけど、なんで飲まないの?」
父の答えはこうでした。
この答えは、私のその後の人生に大きな影響を与えていたんだなと、振り返ってみて思います。
サッカーもアルバイトも、すべてひとつのことをコツコツ続けて来たからです。
1回で終わりの関係にならないことがどれだけ重要か、それを父に教えてもらっていたのです。
我が子である商品で世間にインパクトを与えるお手伝い
弊社のお客様のほとんどは、いわゆるひとり社長です。
ひとりで接客も営業も、何もかもしなければなりません。
しかし、頑張りすぎるがあまり、大事なことを見失ってはいけないとも思っています。
それは、家族や恋人との時間です。
私自身も夜や土日のいずれかには仕事を入れず、家族との時間を確保しています。
私はそういったお客様と、本当の意味で健康で幸せな人生を一緒に歩みたいと思っています。
仕事のほうは、我が子同然に育ててきた商品やサービスを、弊社に預けるのは勇気がいることでしょう。
ですが弊社としては、信頼して商品を預けていただいているのだとうれしく思っております。
なぜなら、預けていただいたお客様とのチームプレーでひとつの目標に立ち向かえるからです。
預かった商品やサービスは、社長が社会に対して何かしらのインパクトを与えたいと思って作ったもの。
それをどのように知らしめていくか、どのようにターゲットに届けるか、考えるだけでワクワクします。
営業代行でもプロモーション代行でも、そのワクワクに違いはありません。
弊社が今まで培ってきたスキルや経験を活かし、社長の商品で社会にインパクトを与えることが、私の仕事なのです。