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リアルとバーチャルとは、本当は?

#STAYHOMEで 、ネットやSNSに触れる機会も増えているかと思いますが、そこでよく聞く、
「リアルとバーチャル」
本当の境界とは何なのでしょうか?

毎日記事やテレビでも見ない日がない、「テラスハウス」出演者だった木村花さんの急死。
本当にお気の毒です。

私、テラスハウスはあまり観たことがなくて、木村花さんがどういう立ち位置でどんな言動をしていたか、まったく知らなくてこんな記事を書くのも失礼かとは思いながらも、私自身、この痛ましい出来事で「リアルとバーチャル」について、改めて考えさせられたので、投稿しようと思いました。

故木村花さんの職業はプロレスラー。
プロレスは、ビジネスのカテゴリーから言うと、どちらかと言えば「ショー・ビジネス」だろうと思います。
今、地デジではほぼ放送しなくなりましたが、プロレスリングが盛んだった頃、ジャイアント馬場やアントニオ猪木など、居並ぶ日本人(善玉)プロレスラー全盛だった頃には、それに歯向かう悪役レスラーという人たちも、それこそ多種多彩でした。

歯をやすりで削ったりしていたフレッド・ブラッシー、2メートルを超える巨人モンスター・ロシモフ(後にアンドレ・ザ・ジャイアントに改名)、アブドラ・ザ・ブッチャーは地獄突きが武器でした。

ブルーザー・ブロディは夭折してしまいますが、アントニオ猪木を気絶させたハルク・ホーガンのアックスボンバー、アニマルとホークのストロングマシーンは、驚くほど強かった印象があります。

地デジで観るプロレスラーと言えば、天龍源一郎を始め、ほぼバラエティ番組にしか登場しなくなりました。

とりわけこのプロレスリングという業界では、悪役対善玉という図式が明確だったと思います。

女子プロレスでも、ダンプ松本、ブル中野が悪役なら、クラッシュギャルズやキューティー鈴木らが善玉で、という非常に分かりやすい善悪二元論の世界が伝統的にファンを楽しませて来たのではと思うのです。

記事などによると、木村花さんへの誹謗中傷が、SNSなどでたくさんあったそうです。
それはもしかしたら、ヒール役(間違っていたらすみません。テラスハウスでの彼女の立ち位置が少々悪役っぽかったということを聞きました)を、知ってか知らずか演じていた彼女のバーチャルな部分に対して、
「バーチャルな相手だったら何を言っても許される」
的なノリで罵声を浴びせ続けていた部分もあったのかもしれません。

でも、木村花さん自身はリアルでした。だからそれを生身の人間として受け止めていた。
それが彼女に対して、無数の言葉の槍となって突き刺さっていたのかも知れない、とまで思ってしまいます。

「では、どこまでがバーチャルで、どこまでがリアルなのか」
ということまで考えさせられてしまいます。

ネット上にいるパーソナリティは、実体だけ見れば確かにバーチャルでしょう。
でもそれが、SNS上のアカウントであれ、アバターであれ、実際に発言したり、コメントを読んだりする人は実際に存在していて、感情もあり、傷つき、怒り、悲しみ、喜ぶ生身の人間、リアルなのです。

この痛ましい出来事について、リアルな人間への誹謗中傷が引き起こしたという人もいれば、まったく違う反応を示した人もいるそうです。
「木村花さん個人の問題なのに、番組やファンが責められるのはおかしい」
とか。

昔々、私の元カノがすごいことを言ったことがあります。
「ニュースで人が死んだと聞いても、別に悲しくもなんともないよね。でも動物が死んだって聞くと、とっても悲しい」
これは、残酷なようですが、本質を突いていると認めざるを得ませんでした。

最近パキスタンで、旅客機が住宅街に墜落する事故がありました。少なくとも92人が死亡しましたが、どこまで胸が傷んだでしょうか。
東日本大震災の津波で、約1万6千人が亡くなったと聞いて、どれだけの涙を流したでしょうか。

もちろん、近しい人や大切な人が亡くなった方々にとっては、哀しいどころではなかったでしょう。その方たちの過ごしている時間のことを思うと、私自身も哀しくなります。
それでも、たいへん失礼ですが、海外での死亡事故などには、どこかバーチャルなものを見ているような感じ方をしてしまう部分があります。

もしかしたら、木村花さんの死を、テレビ番組のドラマの中で、役の1人が亡くなった程度にしか見られないような、そんなバーチャルな見方もあるのかもしれません。

志村けんさんは、コロナウィルスで亡くなりましたが、いまだにテレビでもよく見かけて、生きていることと死んでいることの境目さえ分からなくなってくるときがあります。

映画やドラマでキャラクターが命を落とすと泣いてしまいます。とても哀しくなります。でもニュースなどで、実在の、でも知らない人が亡くなったと聞いて、涙を流したりするのでしょうか。

リアルがないとバーチャルは決して生まれなくて、バーチャルな存在へのインパクトもリアルで受け止める必要があって。
その境界とはどこにあるのでしょう?


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