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「同じ日本人」というのは時に悪い方向に働くこともあるので気をつけようというお話

日本人という民族で見ると、他国の人に比べて、だいたい顔は似てるし、日本語という使ってる言語も同じ。

だから、目の前の人が同じ日本人だからと言う理由で、分かり合えると思うかもしれないけど、そんなことはない。


「普通こうでしょ。」は同じ日本人でも通用しないことはある。


日本人以外の、外国人を例にとると、自分たちがどれだけ同じ日本人に対して「普通」という認識をしているか分かる。


例えば、外国人の方が日本の家に入る時に、靴を脱がなかったら「あ、日本では靴は脱ぐんですよ」と教えてあげて、

教えてもらった側も「あ、そうなんですね。それは失礼しました。」となると思う。


でもそれが同じ日本人となると、「常識がない!!!!」とか言われる。


外国人の日本語が拙くて多少理解できなかったとしても、こちら側で理解してあげようとするのに、


でも、同じ日本人の言葉がよく分からない時は「何が言いたいのか分からない。学生時代にちゃんと国語の勉強した?」とかなる。


そこに一番の問題があると思っていて、同じ日本人ということで、最低限自分と同じ感覚や能力があると思ってしまっている。

画一的な教育や、センター試験のように、その人の能力をある一面から測るテストが日本全体に蔓延してるせいだと思う。


センター試験や大学入試じゃ、その人の賢さや良さは測れない。


もちろん、最低限、自国の言葉や文化や歴史を知っている前提で話すことで、会話がスムーズに進むこともあるだろうし、同じ日本人だからという理由で、安心することもあるだろう。


でも、それがいつもいつも正しいとは限らない。


僕は「この人使えない」とか「無能」とか言う人が大嫌いだ。


本当に悲しくなる。

1側面からかもしれない評価を、その人の人格そのものの否定に繋がる言葉を、例え本人に聞こえないところであっても、使う人がいるのが悲しい。


たまたま、会社という組織、資本主義というゲームの中で活躍できなかっただけで、ルールチェンジが起こると、どうなるか分からない。

たまたま、今の世の中のルールで活躍できてるだけで、それが正しいとも、素晴らしいとも限らない。


インターネットやテクノロジーの浸透で、世界がよりフラットに、よりフェアに、より選択肢が多くなるとすれば、そこを解決していきたい。

マウントの取り合いみたいな不毛な争いは即刻やめないと。


人のことを「使えない」とか「無能」とかって言う言葉を使ってる人は、自分が使えていないパターンもあるだろうし、ルールチェンジが起きた時に、一気に取り残されるかもしれない。


「使えない」と思われたくないとか、「無能」と思われたくないから他人に対して使ってる気もしている。


そこから早く脱却してもらいたい。


外国人の文化は許容するようになっているのに、個人の価値観や能力は許容するようになっていないのは、結構悲しい。


でもその辺りの感覚が、この数十年のうちに、いろんな災害や世界的な感染症なども経験しつつ、どんどん変わってきてると思う。


テクノロジーの浸透によって、僕は世界をよりフェアにしていきたいし、より生きやすくしていきたいと思っているから、明日からも頑張るぞ〜。

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