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高瀬隼子『水たまりで息をする』

「風呂には、入らないことにした」

ある日、夫が言った、ひとこと。
それから夫は風呂に一切入らなくなった。

一か月、二か月、三か月…

時間が経てば経つほど

夫の身体は酷い臭いを発し、
髪の毛の脂もじっとり光り、
どこからか垢がぽろぽろ落ちる……


はじめに

1日で読んでしまいました。

以前、書店に行った際に、面で出されていて、
「風呂には入らないことにした」という帯の文言が気になりつつも
その時は買わず……

今日、再び書店に行ったら夏のフェア(ナツコミ)のコーナーが作られていて。
そこにこの本もあったんです!
いい機会だから読んでみようと思って、買ってみました。
(集英社のブックマーカーの特典をGETできなかったのだけ心残り💧)

結果、凄く面白かったです。
高瀬先生のほかの本も読みたくなりました。

以下に、自分の思考を整理します。
ここからは、ネタバレを含みますので、
まだお読みでない方は、読み進めるのをお控えください。

水たまり

読んでいる間は…

それこそ、読んでいる間は、
ずっと濁った水たまりの中にいる感じでした。

息が詰まって、前が見えなくなる感覚。

物語がどう進むのか、展開が読めず...…
かつ
どう進んでも、良い気持ちで読み終われる気が知れず...…

そして
登場人物1人1人の事情や、心情が嫌なほど分かってしまうから

それぞれが複雑な形を成して、自分の心に侵入して、

気持ちがぐちゃぐちゃになる。

「普通」の外に

夫はカルクの匂いがする水に嫌気がさした。
そして、
どんどん「普通」の外へと行こうとする。

主人公、衣津実も、
自分自身を「普通」の外へと連れて行くようになる。

川が豪雨で氾濫し、
外れた場所にできている、濁った、水たまり。
その中で生きる、魚のように。

——

川や水槽の方が生きるのに適している場所であることは言うまでもない。

耐え凌ぐことは求められるが、水が一方向に流れ、
生命の流れが循環する川。

もしくは、整った環境、しかしスペースに限りがあり、
ある種の排他性を孕む水槽。

これらの「普通」が、生きやすい環境であるはず。

進学、就職、結婚…
社会の大きな流れに身を任せていれば
「普通」に生涯を終えられる。

しかし、
夫は「そこ」から出ようとした。
そして、衣津実も。

衣津実と夫

カルクを抜いていない水の中でも。
苔が生えて辺りが見えない中でも。

伊津実は生き延びる。

しかし、夫は違う。
水道水の中で生きられなかった。
カルクの匂いがする水に耐えられなかった。
苔の生えた水槽の中では生きられなかった。
弱かった。

だから、広い川の中に行こうとした。
ミネラルウォーターで頭を漱ぎ、雨水を被った。
しかしそれは、「水たまり」に行く行為だった。

最初は、衣津実も
「普通」に戻そうとした。
共に水槽の中で生きようとした。

しかし、夫は変わらない。
衣津実はそのうち、
夫に、「普通の外」に、
合わせるようになる。

「普通」から逸脱することを選ぶ。

水たまりに行くことを選んだのだ。

「生き延びる」ができる、衣津実。
そしてそれを自覚している衣津実だからこそ、
「普通」を外れようとする伴侶と共に生きる道を選べたのかもしれない。

「病気になるような弱い人間とはできが違う」
「俺が見込んだ女だ」
そんな父の倫理の元で生きた母と同じであると言える。

——

私の最も印象的な場面は
衣津実が知り合いの連絡先を消していくシーン。

1人1人の連絡先を削除していくごとに
重い鎖が衣津実を締め付ける。

解放されるどころか、
その場から動けなくなっていくのである。

川から水たまりに行く準備をするごとに
どんどん、動けなくなっていく。

後味


すごく、苦しかった…。

衣津実と夫の関係は、見ていて凄く心地よいですよね。
個と個として、棲み分けながら、
二人で静かな空間を揺蕩って、共存していた。

そんな二人だから、見ていて辛かった。

もし、「普通の外」へ行こうとしているのが、
心地いい関係を築いていた人間でなかったら…

例えば金魚だったら?
「普通の外」にいる生き物を、見捨てることができたかもしれない。

命を奪ったり、世話をしなかったり、
もしくは、「元いた場所に返す」という言い訳で
無責任に、川に放せたかもしれない。

——

衣津実が、台風ちゃんを大きなボウルに入れて、
「川のそば」に捨てるシーンがある。

しかしそのあと地域は、豪雨に襲われる。

衣津実は急いでボウルのもとに行った。
無論、ボウルの中に台風ちゃんの姿はなかった。

夫もそうだ。

豪雨に見舞われ、
急いで駆け付けたときにはもう遅い。

ボウルの中にいた台風ちゃんは。
地方の、衣津実の地元の川で身を洗う、夫は。
あっという間に
衣津実の前から姿を消した。

水槽の中にはいない。
もちろん、お風呂の中にも、いない。

その後は、どうなったか語られず。

でもきっと、
衣津実はこれからも、生き延びていくんだろう。

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