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中国古典の易経を学んでいます。2
日曜日に「どうする家康」のことを書いてから、江戸時代は日本的な朱子学を定着させた時代だったこと(「林羅山」)を思い出して、また、なぜか易経のCDを聞きたくなって、連休に何枚か手持ちのCDを聞いていたら、今度は「中国の歴史」という本を借りてきました。
易経の理解を幅広くするにはここらへんの知識が少なかったと見た。
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中国の神話に「三皇五帝」と呼ばれる8人の帝王が登場するそうです。
三皇は「神」、五帝は「聖人」とされています。
三皇は易を作り、人間を生み、農業を教えたと伝わっています。
五帝とは5人の王。諸説がありますが、
「史記」では
1黄帝(こうてい)
2顓頊(せんぎょく)
3帝嚳(ていこく)
4堯(ぎょう)
5舜(しゅん)
初代黄帝から4代目の堯までは子孫が王位を継ぎますが、4代目の堯は自分の子どもに力がないことを認識していたので、5代目を舜に譲ったそうです。6代目は治水に功があった禹(う)に同じく禅譲。
禹が夏王朝を開いたとされています。
朝聞いている10分陽明学では、先日、この舜は継母に意地悪されていたというお話を聞きましたっけ。伝説の王たちのことも、こんな何千年後に伝わっていることがすごいですよね。
この年表に、実在が確認されていた中国最古の王朝は殷王朝。
紀元前1600年から500年続いたとされています。
殷の王様は神様の声を聞いて政治を行っていて、「甲骨」で占いをしていたという記載がありました。甲骨の甲は亀の甲羅、骨は動物の肩甲骨で、それらを火であぶって、できたヒビの具合で吉凶を占っていたそうです。
殷の最初の王様は湯王(とうおう)。
デジタル大辞泉では、
「中国古代の殷王朝の創始者。成湯・武湯・武王ともよばれた。姓は子、名は履りといわれる。夏の桀けつ王を討ち、殷を建国、亳はくに都した。
ちなみに、noteに易経のことを書いたのは2年も前でした。汗。
三皇の時代に易ができて、甲骨で占いをしていた歴史が見えてきました。
以下、Wikipediaより
八卦(はっけ、はっか)は、古代中国から伝わる易における8つの基本図像。
☰(乾)けん
☱(兌)だ
☲(離)り
☳(震)しん
☴(巽)そん
☵(坎)かん
☶(艮)ごん
☷(坤)こん
の八つ。
卦は爻と呼ばれる記号を3つ組み合わた三爻によりできたものである。爻には⚊陽(剛)と⚋陰(柔)の2種類があり、組み合わせにより八卦ができる。なお八爻の順位は下から上で、下爻・中爻・上爻の順である。また八卦を2つずつ組み合わせることにより六十四卦が作られる。
もうここまでくると訳わかんなくなるので、本日はこれまで。
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