煮魚定食

とりわけ「昼ごはん」が好きである。「朝ごはん」も「夜ごはん」もやっぱり好きだけど、「昼ごはん」が頭ひとつ飛び抜けている。仕事の日も休日も、「昼ごはん」の存在は、一日のこれからを一丁やったるかという気にさせてくれるのがいい。

「朝ごはん」は、まだ頭がシャンと起きていないときに自分で用意するもんだから、手抜き感が否めない。「夜ごはん」も、自分でつくることが多い。朝に比べて食材の数を増やして、時間をかけてつくる。このことで、「夜ごはん」は、食べることよりも料理することの方が、俄然おもしろくなってきてしまう。いざ食事は愉しむんだけど。

こう考えると、「昼ごはん」が一番いい。「昼ごはん」は大抵が外食になる。独りで食べることが多い。そうすると何を食べようかと、自分勝手に決めることができるし、街に並ぶ飲食店の中からどこに行こうかと悩むその時間がいいのだ。

近所で通っている中華料理屋や定食屋、パスタのお店なんかでは、いつも決まったメニューを注文するのだけれど、ときにはちょいと気分を変えて、その店では頼んだことのない「酢豚定食」などに浮気してみる。できあがった酢豚をいざ口に運ぶと、「やっぱりいつものやつにしておけばよかった」と悔やんでも悔やみきれないことになることがある。メニューによっては、「これはこれでイケるか」なんてこともあるから、メニューの浮気はこれからも続けるけど、まぁ何がたのしいんだか、そんなふうに独りで呟きながら「昼ごはん」を食べている。誰に気兼ねすることなくこういう時間を過ごせるのも、「昼ごはん」の好きなところだ。

お店の人には大変申し訳ないが、注文した料理が本当に口に合わないこともある。好みの人もいるかもしれないが、自分にとってはレバニラ炒めが塩っぱかったり、味噌汁がぬるかったり。人それぞれ好みがちがうわけだから、この辺はもう料理人との相性というしかない。料理人と味付けの好みがちがうわけだ。それはそれで受け入れて、はい、もうこの店は2度と来ません。とは実はならない。そんなときも、すぐに「ここは俺には合わない店だ」とは判断しないようにしている。

自分はおいしい店を探すのに、いつもけっこう本気だ。どの店に入ろうか、その街をグルグル歩きまわる。はじめて行く街だと、炎天下でも雨降っていても30分くらい歩く。この店よさそう、でももっといい店あるかもしれない、とりあえずキープにしてちがう店を探す、なんてこともある。これが結構疲れるんだけど、一日の折り返し地点である「昼ごはん」は手を抜けないのだよ。

そうして初めて入ったお店の料理が口に合わなかったとき。それはもう本当にショックなんだけど、お店への気持ちはそこで終わらせない。はじめて訪れた店で、同じ思いをして「もうこの店には来ないぞ」と判断するひと、結構多いんじゃないだろうか。その気持ちはわかる。食べものの恨みは深いのだ。だけどそういうお店であっても、ちょっと堪えてあと1回(できればあと2回)は訪問することをみなさんに薦める。

以前こんなことがあった。会社員だった当時、会社近くの定食屋さんに同僚と昼ごはんを食べに行った。初めて行くお店だったので、お品書きを見るだけでも心躍る。かなり迷って、たしか煮魚定食を頼んだ気がする。周りを見渡すと、同じく近所のサラリーマンだろうか。スーツ姿の男性で賑わっている。こりゃ期待できそうだなと、ソワソワして料理を待っている間、お冷をおかわりなんかして。

運ばれてきた煮魚定食の味噌汁を口にして、あれ?と予想外に口に合わなかったものだから、心がすこし動揺。つけ合わせのひじきの煮物、メインの煮魚と食べて、やっぱり自分の口には合わないな、と結論。盛り付けもちゃんとしていて食べられないような料理ではなかったので、完食したわけだけど、お店を出て会社に戻って、仕事が終わるまで残念な気持ちを引きずっていた。

それからその店には行かなかったのだけれど、煮魚定食から1年くらい経って、仕方なくその店をまた訪れる機会があった。1年前のあのときと同じように、昼時の店内はお客さんで賑わっていた。今回は煮魚定食ではなく、野菜炒め定食を注文。あまり期待せずに、運ばれてきたものを食べてみると、これが本当においしかった。メインの野菜炒めだけじゃなく、つけ合わせ、味噌汁、腕にてんこ盛りのごはんまでもうまい。

食べ終わって帰り際、レジの店員に、「お店の雰囲気よくなりましたね」とやんわり聞いてみたら、料理スタッフが変わってメニューも変わったんだと教えてくれた。定員に野菜炒め定食がおいしかったことを伝えたところ、「ここだけの話、まかないもおいしくなったんですよ」とニコニコしながら教えてくれた。メニューが大きく変わって、いままで以上に賑わうようになったそう。その日から、その定食屋には頻繁に通うことになった。

同じような体験が他のお店でもつづいたのは驚いた。イタリアンの店で、その日たまたま料理人が調子悪かったなんてこともあったな。そのときは調子が悪かったことを知らなかったのだけれど、改めて翌月訪れたときには、別人がつくったのかと思うほど、自分好みの料理を愉しむことができた。

訪れた店は一度で諦めない方がいい、と思うようにした。せっかく見つけた、勇気出して入ったその店は、このさき通うことになるかもしれないお店の可能性がある。1度の訪問で口に合わなかったくらいで諦めない方がいい。料理をつくっている人も、お店を運営している人も、遡ると食材をつくって、運んで。目の前の料理に関わるあらゆることが、人の手によるものだ。そこにいるのはロボットじゃないんだから、まったく同じ煮魚定食になるわけじゃない。食べるときは、それくらいおおらかな心をもって。

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