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噛んで砕こう世界遺産#7「広島平和記念碑(原爆ドーム)」

どうも!
水島ひらいちの涼です!

前回の世界遺産はこちら。

先日は世界遺産検定がありましたね。
受験された方々はお疲れ様でした。もう一度頑張る方や、次のレベルにチャレンジする方もいらっしゃるかと思います。
この記事が是非ともそんな方々の手助けになればと思います。

ということで、本日ご紹介する世界遺産はこちら!

広島平和記念碑(原爆ドーム)

登録年:1996年
所在地:広島県
登録基準:(ⅵ)
構成資産:原爆ドーム

原爆ドームはその惨禍を伝えゆく「負の遺産」です。
負の遺産とは戦争や紛争、人種差別や奴隷貿易などの人類の歴史的過ちを二度と起こさない為の教訓となっています。
登録基準(ⅵ)のみで世界遺産に登録出来るのはこの負の遺産のみとなっています。

原爆ドームは元々、チェコの建築家ヤン・レツルによって建てられた当時にしてはモダンなレンガ造りの建物でした。
開館当初は「広島県物産陳列館」で、その後「広島県立商品陳列所」と呼ばれていました。そして、第二次世界大戦が勃発したときには「広島県産業奨励館」となっていました。

1945年8月6日

午前8時15分のことでした。
アメリカの爆撃機『エノラ・ゲイ』が原子爆弾『リトル・ボーイ』を広島県産業奨励館の距離数百メートルの付近に投下しました。
広島の街は一瞬にして姿を変えました。
広島産業奨励館はほぼ真上から爆撃を受けたことで、骨組みや壁の一部を残すことができたんです。

原子爆弾投下後

1987年、当時の広島市長は第一回平和祭で原子力の恐ろしさとその撤廃による平和な世界の創造を説く平和宣言を行いました。

その後、かつて広島県産業奨励館だった建物は原爆ドームと呼ばれるようになりました。
崩壊の危険性はもちろん、見るだけで当時のことを思い出してしまうという意見から一時取り壊しの予定もありましたが、その惨状を後世に伝える必要性があると判断し、1966年に原爆ドームの永久保存が定められました。

そして日本が世界遺産条約を締結した後、1994年には国会請願が採択され、翌年には国の史跡にも指定されました。

そうして1996年に世界遺産に登録された原爆ドームは、核兵器の廃絶と世界恒久平和を掲げ今もなお広島にその姿を残しているのです。

おわりに

我々水島ひらいちはお隣岡山県出身なものですから、中学生の時には平和学習なるものでここ原爆ドームを見学しに行きました。
15年以上前の話ですが、原爆投下をその身で体験された方の話も伺いました。

今後紹介させて頂ますが、広島には厳島神社という世界遺産もあります。
観光をするならこの2つは是非セットで見に行ってください!

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