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福井球団解散のニュース

福井球団への思い

福井球団解散のニュース

福井の球団が解散になる。
そんなニュースが神奈川県の自分のもとにも飛び込んできた。


正直驚きはしたが
なんとなくそういう雰囲気は察していた。
紆余曲折がありつつもなんとか15年間存続し続けてきた。

けれども
他の球団と比べれば、なかなか厳しい状況下ではあった。

僕は15年間のうち1年
BCLの福井ワイルドラプターズでしか関わってこなかったが
福井では本当に色々な経験をさせてもらった。

「ミラクルエレファンツ」、「ネクサスエレファンツ」
の間に挟まっていたこともあり、チームメイトも残っていることから
話は聞いていて自分のいた場所でもあったので気にかけていた。

試合を観に行くことは叶わなかったがファン感には参戦つもりでいる。

元チームメイトとともに
最後の勇姿を見届ける所存です。

福井球団との出会い

僕はBCLに2年間在籍したうちの最後の1年が
「福井ワイルドラプターズ」だった。

BCL一年目でのプレーオフ
当時信濃グランセローズ所属の僕は
対戦相手として「福井ワイルドラプターズ」と
対戦した。
(以下ワイラプ)

僕は試合にはほとんど出ることがなかったので
ベンチから、コーチャーから見ていた。

この年はワイラプ初年度であったが
ミラクルエレファンツの主力も
残っていたこともありチーム力があった。

旧中地区で優勝した
信濃グランセローズだったが
この日は本当に苦戦した。

山本雄大さんがサヨナラヒットを打ち決めた瞬間

安定感抜群の先発の佐渡さんから点を取られ
ワイラプ先発の三染さんから点を奪うことができなかった。

結果的に延長戦までいき
最後は信濃のサヨナラ勝ちとなったが
本当に手強い相手だった。

信濃は最終的に
神奈川フューチャードリームスに0−1で
敗れ準優勝となった。

もしワイラプが勝ち上がっていたら
ワイラプが勝っていたかも。
そのくらい強いチームだった。
(現役終わったから言えること笑)

そんな印象での当時福井球団との出会いだった。

福井球団に入団

1年目のオフに信濃を自由契約となり
僕はトライアウトを受け次の所属先を探した。

合同トライアウトでは1次落ち、
茨城アストロプラネッツのトライアウトでも1次落ち。

改めて自分の立ち位置を思い知らされ、
就活も同時進行で進めていた。

そんな時に後輩から
「福井受けないんですか?」と言われた。
(名前はあえて出さないでおく)

合同トライアウトを受ける前にも
ワイラプで個別の入団テストあるよと
言われていた。

その時は球団の新しい方針、
いわゆるB,C契約などもあって
前向きには考えなかった。

それがトライアウト後に自分の立ち位置を知って
就職と天秤にかけた時に

まだBCLで頑張りたい。

そう思って後輩には
チャンスがあればお願いします
と球団に伝えてもらった。

その話がありがたいことに球団に
伝わっていたこともあり
年明けワイラプとZOOMで面談が入った。

実はこの時内定ももらっていて
内定承諾期限が前々日だった。

内定は他でももらえると思い
ワイラプに全てを懸けた。

とはいいつつもトライアウトに2次まで
いく実力もなかった自分は
連絡もはっきりしたものがあまりなく
自信もなかったことから1ヶ月前から計画して何故か福岡の友人宅にいた。

日付は福岡に行った日に決まって
福岡の友人宅を借りてZOOMの面談に挑んだ。
(衝撃の事実。笑)

当時の小松原社長と面談をし
福井球団の方針やあり方など
そういった説明を受けた。

そして僕に提案されたのが
SNS、YouTubeなどの宣伝活動だった。

信濃時代も選手会インスタの開設だったり
SNS関連は引き受けていた。

まさかその事実がここで役立つとは
一ミリも思っていなかったが、
この点は役割を頂いた信濃に感謝しても仕切れない。

選手会インスタではなかなか運用を
発揮し切れていなかったので
その役割をぜひと受け入れた。

その結果本来はトライアウトを
面談後受けるはずだったが日程が合わなかったり
などあり信濃の優勝実績などで入団が決まった。

福井球団入団後

福井球団に入団が最後にトライアウトを受けた組と
同じ時期に発表された。

この時実は誰にも言えなかったが
練習生での発表だったがA契約
本来のBCLの選手契約になることは決まっていた。

そんなこともあって必死でそれに見合う
活躍をと思い頑張っていたつもりだった。

けどやはり実力差はやはり感じてしまった。

その差のプレシャーもあり信濃の時の
シーズン前と同じような失敗をしていた。

あれだけ信濃の時に言われたのに。。

自信をなくしかけていて
A契約発表の時実はとても気まずかった。

それでもチームメイトは結果的に
みんな僕がキャンプ期間中インスタだったり
YouTubeをやっていたのもあり納得してくれた。

特に一緒に車に乗っていた古賀さんは
めっちゃラッキーじゃんやるだけっしょ
と言ってくれたり



旧EMANON勢
(クラブチーム時のチームメイト)
蔵太、笹さん、真渡は頑張るしかないでしょ。
と背中を押してくれた。

エニタイムにて

そんな感じでシーズンが始まっていった。

結果的にBCL西地区最下位に終わったが
このチームは古参がたくさん抜けたものの
ものすごい成長スピードだった。

自分も信濃時代は0安打で
終わってしまっていたが、出場試合も増え
10安打を1年間で打ち打点もついた。

おまけに猛打賞も記録した。

コロナ禍で信濃時代には聞けなかった
トランペットなどの応援を背に野球ができた。

シーズン中もテレビのロケに行かせてもらったり
YouTubeの撮影、小学校訪問。

小学校訪問の時
スポフェスFUKUI 福井駅前にて
ラジオ出演
福井県立大アメフト部とのYouTubeコラボ

本当にいろんな経験をさせてもらった。

シーズン終了後に実は新しい福井球団で
スタッフとしてやらないか。

そんな提案もされていたのだが
スタッフとして何ができるか当時自信がなかったこともあり
結果的に東京の今の仕事場に就いた。

今の自分ならスタッフできるな
今後も遠くても関わっていきたいな

そう思っていたところでのこのニュースだった。

最後に

福井市のスポーツ課なども
この球団には頑張ってもらいたいと
言っていただいていて

所属経験のある自分からすると
本当申し訳ないというか何もできなかったのが
心残りです。

僕が退団の年、チーム存続のため
クラブチームに切り替えるなど色々な選択肢が
ありながら結果的にNOLの新球団となりました。

それがまさかワイラプよりも短く終わるとは
思ってもいなかったので力になれる機会を
失ったことがとてもショックです。

自分のした選択に後悔はないですが
こんなにも早く。。

たった1年間の在籍だったけども
小学校では喜ばれ、福井のスポーツチームとして
やってきたことが野球でできないのは悲しいことです。

あの応援もなくなってしまうのは
もったいないなと
思ってしまいます。

どうかまた福井と野球に携わる日が
いつしか来ますように。

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