見出し画像

はじめに



はじめまして。皆さんこんにちは。
平岩 直人(ひらいわ なおと)です。
この記事を書くにあたってまずは自己紹介からしたいと思います。



僕が野球を始めたのは小学校2年生から。



きっかけは

・仲の良かった友達に誘われたから
・サッカーやりたかったのにチーム入れてくれなかったから
・スポーツできるやつ=かっこいい

が主なきっかけです。笑

野球のルールも知らないところから
なんとなく土日のチームの練習に参加して
なんとなくやり方を覚えていき野球をしていました。


プロ野球も最初はほとんど見ていなくて
選手はパワプロくんで覚えていきました。



中学校では軟式の野球部に入りました。



硬式に行かないの?と何人かに言われましたが、
硬式ボールが怖くて
勧められたクラブの体験会にすら行きませんでした。

自分の学年が最上級生の時はレギュラーになれましたが、
上の世代がいたころは人数も多く、
上手い人たちがたくさんいたので出られていませんでした。

高校では県内だとそこそこ知られていた公立高校に入りました。


受験の際に実はもっと野球の弱いところに入って
緩く野球を続けようと思ってましたが、ボーダーが思ったよりも
ギリギリで受験票を出す直前で志望校を変えて受験しました。


正直そこで野球を続けるのは厳しいと自分の中で思ってました。

まず、そもそも坊主が嫌で嫌で笑

それから当時は野球部の伝統とかなんとかで
篩にかけられるのも知っていたし(今ではもうなくなっているそう)、
先輩は怖いし。。。笑


親にも続かないだろうと思われていました。

ですがなんだかんだ続いて高校野球を無事最後までやり通すことができました。



大学は高校で完全燃焼もしたし、
一般で入ったので野球は続けませんでした。

ソフトボールのサークルに入って
なんとなく大学生活を楽しもうと思ってました。

思ってたのですが


結局大学2年生のシーズンから
社会人野球のチームに入ってしまいました。笑
それが当時のEMANON BBC 戸塚です。



独立リーグで活躍されている伊藤克さん(徳島IS-神奈川FD)など
高校生、学生の年代が意外にも多く在籍していたのが当時のチームです。

克さんとは入れ替わりで入ったためほとんどお話しすることはなかったですが、色んな人たちと出会うきっかけとなり、沢山の繋がりを持てました。


その中で自分の進路選択に野球が入ってくるようになりました。




チーム名がJFAM EMANONに変わってからも元独立リーグ、元NPBの選手が入ってきて益々思いは強くなっていきました。

そして色んなトライアウトを受けたりしていた結果

信濃グランセローズ


に指名されて行くことになりました。


(2020年度末に自由契約)

ここにたどり着くまでに得た
僕なりの経験談から

「野球による人生の進路選択」


を文章にしようと思っています。


僕みたいに華々しくない野球歴の人も
チャンスがあることと同時に
色んな困難を伝えていこうと思います。

サポートありがとうございます! 頂いた支援は大事に使わせて頂きます。