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アクセサリーはなんのために必要なのか

「”ファッション”っていったい何者なのか?」そんなことを考えたことはありませんか?ファッションがどこからきて、今に至るのか。
これは、ファッション史を勉強すればよいのですが…ファッションが”着飾る”ことになったのは、いつからなのか。

ナショジオのちょっとした記事ですが、衣服の起源はどこにあるのか?という言葉からはじまるこの記事に出会ったことがきっかけでした。

ファッション史を専門的に学んだことはありませんし、史実をぎちぎちと語りたい訳ではないのでゆるっと私の妄想を文章化していこうと思います。

ざっくり歴史を勉強してみる。

元々、何かを身に纏うという行為は、ナショジオの記事にあるとおり寒さに対してなどの機能的なものだけだったのであれば、そこに”着飾る”という意味合いはなかったのではないかということになります。いつ、着飾ることになったのか?興味深いです。

ファッション史によれば、着飾り始めたのは古代エジプトの時代。体に模様を施すことが始まったり、狩猟の腕を誇るためなのか動物の牙やつのなどを身につける文化が始まったり、お守りや地位の誇示、政の中で存在価値が生まれ始める一方で、日本でも、出土品から旧石器〜縄文時代の頃とされる装飾品が見つかっていることから同様の文化が発生していることが伺えます。

着飾るって、
ちょっと自分のイメージをアピールすること。

何千年も昔から、何かしらの思いを受けた装飾具を通して、望んだ姿に近づこうとしている人の姿が見える気がします。なりたい自分を装うためのアクセサリーで、なりたい自分になる。装うってネガティブなイメージがありますが、わたしはファッションとしては正当な理由だと思います。

髪型を決めるときも、コスメを選ぶときも、服を選ぶときも。
こんな雰囲気になれたら。
自分にはこれが似合うと思うから。
さまざまなイメージをもって選んでるかた、少なくないと思うんです。

古代から、同じように続けてきたって考えたら、なんだかもっと堂々と挑みたくなりませんか?(笑

自分には無理?

ハンドメイドアクセサリーを販売していると、よくこんな声を聞きます。

「私の年齢じゃもう無理」
「可愛いけど私なんか無理〜」

本当は好きなのに、何かの理由によって諦めていて、しかもなぜかそれが「無理」なのです。

無理ってなんですかーーーーーー!!!

と、叫びます。本当に、イベントでも直接お客様に言っちゃいます。無理って、なにが無理なんでしょうか。

●●歳になったらだめ。
私なんか似合わない。

それは、誰が決めたルールなのでしょうか。誰のためにあるルールなのでしょうか。そもそもそんなルールありましたっけ…(泣

気持ちが落ち込む装いは、もちろんダメですし、TPOを考えない装い…つまりドレスコードの無視もダメです。むしろ配慮すべきポイントです。

でも、似合わないから…とか、一定の年齢になったから…とか。

私にとって、それは、TPOではないなと思うのです。何かを理由にして諦めてることで、晴れやかな気持ちを装うことを手放してしまうのは本当に勿体無いと思うのです…。

だったらなんでファッションが存在するのか。

そういうことになりませんか。
自分をもっと良く見せるために、もっと自分に自信を持てるように、適度にアクセサリーの力を借りたって、いいんじゃないでしょうか。
もっと、ご自分の人生を楽しんでも、いいんじゃないでしょうか。

そんな、ひらぎの独り言でした。

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