救いと祈り
ヤマシタトモコ先生の「違国日記」を読んでいる。
すごく、いい、というと、なんか違うかも。
率直に言うと「救われた」。
さつまさんのツイートが端的に作品の紹介をしているので、ぺたり。
* * *
槙生さんの言葉は、代弁してくれているよう。
よく感じていた。
みんなが「普通」にしていることが自分にはできない。
なんで自分は「普通」のことができないのだろう、と。
劣等感しかなかった。
周囲の大人や友人の言葉に勝手に傷ついて、
まさに、こんな風に感じていた。卑屈になっていた。
槙生さんの言葉、苦悩、不器用な愛。
すごく重なる部分がある。
* * *
10代の頃、学校へ行っていない時期がある。
私の中では「当たり前の反応」だった。
今の自分が学校に対してこういう反応になるのは当たり前、「正常」だと。
でも、周囲の反応は違っていた。
私が、自分は「普通」ではないと強く思ったのは、
「病院(精神科)へ行くのはどうだろう」と言われたことだ。
その時『あなたは「普通」ではない』と言われたのだと思った。
* * *
私はその申し出を断った。
卑屈にはなっていたけど、精神は安定していたし、
やはり「正常な反応」だとしか思えなかったから。
ただ、その時難しいと感じたのが、
そういう事を言うのは、私を心配してくれている人なのだ。
怒ることも、責めることもできず、
当時の私は静かに傷ついていた。
* * *
そんな私が徐々にこのままでいいと思えたのは、
その後出会う、友人や大人のおかげ。
槙生さんにとっての奈々さんみたいな友人に私も出会えた。
本人はそんなつもりはなかったと思うけど、
「ひらぎはひらぎ」と言ってくれる友人に救われていた。
* * *
今年、私はお仕事で、10代の子と過ごす時間が増えそうです。
楽しみな反面、内心ビビっている。
朝さんの
という言葉は、私も当時思っていた。
私は、もう大人だ。
大人として、10代の子とどう接したらいいのだろう。
* * *
槙生さんの言葉、これは私も常々思っていることだ。
私は他人に影響を与えるのを恐れている。
それは、責任がとれないからだ。
そんな私がそのお仕事をしようと思った理由の一つは、以前から
10代の頃の自分に、今の私の姿を見せて、「なんかよく分かんないけど、こんな大人もいるから大丈夫だな」と思ってほしい、と思っていたから。
きっと、何人かは、当時の私みたいな子がいると思う。
そんな子たちに、ダメな大人、でも楽しく生きている大人の姿を見せたいな。と、(いいのかな)
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