健康で文化的な最低限度の

何年前だったか定かでないが、
このまま教育ビジネスの世界に居座って良いのかと疑問に感じ始めたきっかけの1つが、教育格差の深刻さを知ったことだったと思う。

所得の格差が教育格差になり、教育格差が次の所得格差へとつながる、連鎖。
「中学校までは義務教育で保証されているからいいじゃないか。そこからは本人の努力の問題だ」というような人はこのnoteを開かないと思うので、その点は論じない。

経済的な背景によって受けられるサービスに差があるのは、部分的にはとても自然なことではある。自分は、たとえ望んでも、飛行機のファーストクラスには一生乗れないと思う。自然だし、それでいい。

考えるべくは、どのような差は「自然」で、どのような差は「問題」なのか。
教育における「健康で文化的な最低限度の」守るべきラインはどこなのか。

自分はこの論点のいち側面として、【大人との関わり】を据えたいと思う。

子どもの学習支援に関して言えば、
 プロの家庭教師や、1対1の個別指導塾
 学生の家庭教師や、1対複数の個別指導塾
 集団指導の学習塾
 映像で授業を受ける学習塾
 通信教材や、タブレット教材
 書店で買った参考書

というように費用が下がっていく。
(当然、費用だけではなく、様々な特性の違いがあり、一概に良し悪しを測れるものではない。それは前提として。)
費用と比例するように、大人との関わりの量や質が減る。

大人との関わりの差は、ロールモデルの差、エンパワメントの差、話を聞いてもらえることの差、感情を共有できることの差、社会への信頼感の差、
ひいては、生きていこうと思う力の差になっていくのではないだろうか。

経済格差によって、子どもの大人との関わりが減ってはいけないと思う。
守るべきラインはここにあると思う。

そういえば昔、「毎日朝食を摂っている子どもは学力が高い」というデータがメディアに取り上げられ、「子どもには必ず朝食を!」的なブームを生んだことがあった。
話の決着は、「経済的に余裕がある家庭では、子どもの学力も上がるし、朝食も家族でしっかり摂っていることが多い」というだけの話。
ここにも、親との関わりの量と質の差がみえる。

AIがあなたの学習を最適化、している場合ではない。
経済的に裕福でない中でも、人との関わりは保証されるべきだと思う。
なんとかしたい。


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