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野島直人さんとの出会い

私の作品にいつも出ている人がいます。野島直人さんです。

2003年に『HELMUT』という作品を作ったところ、ショートショートフィルムフェスティバルで上映されることになりました。私はそこで初めて大きな映画祭に参加することになりました。

普段着慣れていないスーツを着て、恐る恐るパーティに行きました。ものすごいセレブ感のある空気に圧倒され、壁際にピタッと張り付いて、忍者の様に目だけ出してジッとしていました。スキあらば帰ろうとしていたところに、映画祭の代表である別所哲也さんの姿が見えました。

別所さんは静岡県島田市出身の私と同郷ということを知っていたので、それだけをお伝えして帰ろうと、勇気を出して別所さんにご挨拶に行きました。そこで、別所さんが同じ事務所の野島直人さんを紹介してくれたんです。すぐに別所さんは行ってしまい、私と野島さんは残されました。

そういう場で会った人とは、だいたい挨拶して終わりで、一生会わないことも多いと思いますが、野島さんと私はその場で意気投合し、その日の映画祭の深夜の上映も一緒に観に行き、一週間後には短編映画の撮影をしていました。『VS』というホラー映画を作りました。「Vegetable Soul」の頭文字を取って『VS』です。キャベツを粗末に扱った男がキャベツの恨みを買い、キャベツになってしまうというストーリーです。人を怖がらせるホラー映画を作ったつもりでしたが、見る人見る人、みんな爆笑していました。そりゃそうですよね。あらすじ聞いただけでそう思います。

野島さんは私と会うたびに「作品作りましょう!」と言ってくれました。そう言ってくれる人がいなかったら、私は短編映画を作り続けなったと思います。まだリーマンショック前で、CMの仕事にもお金がたくさんあり、仕事が面白くて、短編映画にはそれほど情熱を持っていなかったからです。野島さんとは続けて3本作品を作りました。

2006年に、野島さん主演で『Doron』という作品を作りました。家庭用のハンディカムで照明もせずに撮影しました。私もすごく力を入れた作品だったのですが、完成した時に「ああ。あんまり良い作品にならなかったな。」と思ったのを覚えています。自分の限界をすごく感じました。

その時の私が良いと思っていた基準は、「映像のアングルが良いか」「画質が良いか」「デザイン的か」「アートのニオイがするか」でしたが、『Doron』は全体的にそういう作品ではありませんでした。私がまだ映画をデザイン的にしか捉えてなかった時期だったと思います。人間によって物語にうねりを出さなきゃダメだと気づいたのはそこから数年後になります。

スタッフの手前、一応映画祭に応募することにしました。どうせ落ちると分かっていても、エントリーした事実が大事でした。スタッフや出演者の方々への誠意として。国内海外問わず、適当にいくつかの映画祭にエントリーしました。

最初に、本命だったショートショートフィルムフェスティバルから落選のメールが来ました。私としては納得の落選でした。まあそうだよなと。そこからしばらく忘れていたところ、いくつかの海外の映画祭での上映が決まりました。私としては、自信のある作品ではなかったので映画祭に行こうとも思いませんでした。

するとある日、韓国の釜山アジアン短編映画祭(現・釜山国際短編映画祭)からメールが来て、『Doron』がグランプリになったから明日の表彰式に来れないかとの事でした。私はCMの仕事をメインでしてましたので、予定をズラす事は出来ず、表彰式には行きませんでした。グランプリでは賞金を日本円で50万円ぐらいと、400フィートの35mmのカラーフィルムを20缶もらいました。『Doron』はその後、スペインとカナダの映画祭でもグランプリをもらいました。

その時私は「自分の作品を自分で評価するのはやめよう」と強く思いました。

野島さんの話に戻します。そうこうしているうちに、野島さんがミュージカルの世界でどんどん上に登って行きました。『レ・ミゼラブル』では、マリウスやアンジョルラス役までやるようになりました。野島さんに招待されて『レ・ミゼラブル』を見に行った時、メインの役をやっている野島さんを見て号泣しました。すごいところに立ってるなあと思いました。

一方で、『レ・ミゼラブル』をやっているのと並行して「無意味の意味の意味」という10〜30秒ぐらいの、シュールなひとことを言う映像も作りました。私がセリフを考えて、野島さんがそれをカメラに向かって言い、私がそれをハンディカムで撮影するんです。1回の撮影で何十本も撮影し、毎日1本アップしていきました。ユーチューバーなどまだいなかった時代です。あの頃、自由な時間が今よりあったんだなあと思います。

野島さんとの出会いで言うと、この辺りまでが前編かなと思います。

そこからもたくさんの作品に出て頂き、仕事でも何度も何度もお願いさせてもらっています。またそのうちに、後編を書きたいと思います。いや、二編じゃ書ききれない可能性大ですが。

野島さんは、私の人生において欠かすことの出来ない大切な友人です。そろそろ野島さん主演でまた作品を作りたいなあと思っているところでもあります。

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