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プロフィールと発信のギャップ

私がSNSで忸怩たる思いがあるのは、プロフィールと発信している内容のギャップです。「忸怩たる思い」って書きたかっただけ、というのもあるのですが、プロフィールと発信している内容のギャップについては、常々思っていることなのです。

例えば、私のnoteでのプロフィールはこうです。

映画監督・演出家。短編映画が、カンヌ、ベルリン、ベネチア、ロカルノ、サンダンスなどの映画祭で上映される。2019年、初の長編映画『SHELL and JOINT』が完成。モスクワ、ロッテルダムなどの映画祭で上映される。

これを読んだ人は、映画の投稿がたくさんされるものだと期待すると思います。観た映画の感想だったり、映画論だったり、内外の映画事情、業界の内側の話、出演者やスタッフの話、などなど。あるいはプロフィールで映画祭押しなんだから、映画祭に選ばれる方法、なども期待されているのかも知れません。

でも、私の投稿は割と映画に関係無い事が多いんです。ここに忸怩たる思いがあるんです。(今日2回目の忸怩たる思い)

なぜなら、私もそういう基準でフォローする人を選んでいるからです。例えば、私はTwitterで生き物についてTweetしている団体や人を、なるべくフォローしたいと思っています。それは、私が生き物が好きで、生き物の情報を常に浴びていたいからなんです。

生き物に関する団体や人と言ってもいろいろあるんですけど、世界的な生き物の団体もフォローしてますし、漁師の方や、魚屋の方もフォローしてます。とにかく、今まさに起きている「生き物事情」を浴びたいんです。だから、「何月何日に、どこの川で、何という魚が何匹放流された。」みたいな情報にもワクワクしますし、漁港に上がった魚のキロ数にもドキドキします。「今日はシケのために漁に行けず。」というTweetですら嬉しく読んでいます。

そうやって生き物関連の人をたくさんフォローしていくと、関連した人々がRTされてくるので、またその人をフォローしていくんです。その過程でこんな事があるんです。

生き物関係の面白いTweetをしてる人がいるなと思って、その人のプロフィールを見に行くんです。そうすると、研究者の方だったり、ペットショップの方だったり、マニアの方だったりするんです。そして、フォローする前にその人のTweetをザザッと見に行くんです。

すると、面白いなと思ったTweetはRTされてきたTweetだけで、あとは「鏡餅が固くなってしまった。ノコギリで切るか。」とか「今日は1万3000歩歩きました。老化は足腰から始まるらしい。」とか「さてと、昨日サボリすぎたから、今日もしっかりサボるぞ。」などと書いてあるんです。

いやいや、この人のこういうTweetは別に知りたくないぞ、と思いフォローしないんです。そして私は思うんです。

これは自分を見ているようだ、と。

あんなに映画押しのプロフィールなのに、ロクな事を書いてないじゃないかと再認識するわけです。そこに忸怩たる思いがあるんです。

そしてこれはnoteでも同じです。一貫したテーマで語る人は、知的で専門的でカッコ良く見えますね。文章に説得力もあります。あるいは、マンガしか投稿しなかったり、写真しか投稿しなかったり、そういうフォーマットを意識している人もエッジが立って、突破力があると思います。

Twitterと同様に、私のnoteはプロフィールとのギャップがあるんです。期待されている事が書かれてないんです。なぜそこで、社会現象になっている映画やネットフリックスについて語らないのか。なぜそこで、アカデミー賞や映画祭の結果について語らないのか。心の底から、忸怩たる思いしかありません。

そして、定期購読マガジンだったらなおさらその専門性に特化している方が、読者も増えるんだろうと思います。それに比べて、私の有料定期購読マガジンは、普通の投稿と何ら変わらず、ランダムに有料にしているに過ぎません。「ランダムに有料にしてるだと?」と思われる方もいるかも知れませんが、私の定期購読マガジンを購読している方々は分かってらっしゃると思います。「こいつはランダムに有料してるだけだぞ。」と。

なぜ、私がプロフィールと発信のギャップを修正しないのかと言いますと、続けることを最優先にしているからですね。例えば、映画のことだけに特化しようとすると、続かなくなってしまう気がするんです。これは私の性格の問題ですね。コツコツやっている様に見えて、割と飽きるのも早いんです。

だから私は、何かを始める時に、持続可能な仕組みにする事を割と重要視します。一瞬のハイクオリティより、長く続くロークオリティの方を優先しようとします。ロークオリティと言っちゃうと語弊はありますけど、最初からハイクオリティを求めて、結果的に続かなかったプロジェクトがいくつもありましたから。むしろ、最初から無理をしたことで続かなかった、と言っても過言ではありません。ロゴや名刺まで作ったのに頓挫したプロジェクトの数と言ったら。

noteではその作戦が上手く行き、1年以上続いています。

じゃあ、プロフィールでギャップを調整すればいいじゃないか、と思われるかも知れません。

映像関係の仕事をしてます。ビールとワインが好きで、生き物の情報に囲まれていることが人生最大の幸せです。noteでは特にテーマを決めずに書いています。アラフィフの坊主おじさんです。二児の父。

いや、こういうプロフィールでもいいんですけど、プロフィールも緩くて発信も緩いと、純度100%、文章力での勝負になってしまいます。noteの良いところは、プロフィールは地味なのに文章力で突破している人がたくさんいる事だと思います。これはすごい事だと思います。

でも私は、せっかく使えるならとプロフィールを濃い目に味付けして、そういう人が書いているという前提で、緩い事を書くという作戦なんですね。

その、ちょっと詐欺的な作戦にも、もちろん忸怩たる思いはあるんですが。(今日5回目の忸怩たる思い)

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