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学力ってなんだろう

こんにちは。ひらつまです。

今朝から各地区における夏休みの短縮について報道されています。

我が子の学校からも先日「今年の夏季休業は12日間」と伝達があったばかり。休校中は、親として、こんなに学校で勉強してなくて大丈夫?と心配になり、夏休みが短くなっても当然。学習の遅れを取り戻すべき、と思っていました。

でも、いざ夏休みの短縮が発表され、がっかりする子供たちを前にすると「子供の楽しみを奪ってまで学力って保証する必要があるのかな・・・。」と思ってしまいました。われながらクレイジーです。

教員のときは子供たちに学力を付けることが仕事として当たり前のことだったので、「なぜ必要か」ということについて、そんなに深く考えたことはなく、ないよりも少しでもあったほうが将来の選択肢は増えるし、勉強が分からないせいで何かを諦めることがないよう、少しでも学力を付けてやりたいと、そんなふうには思っていました。

ですが、今も自宅で子供たちに勉強を教える仕事をしていますが、私のところに来る子供たちは、「学校の先生」ではない私に本音を話しやすいのか、「勉強なんかしたくない」「勉強って何のためにするん?」「なんで学校行かんなん?」「この勉強って役に立つん?」「こんなこと覚えて何になるん?」と、口々に疑問や不満を言います。

正直、答えに困ってしまいます。「自分のためだよ」とは答えられません。だって、子供たちがしたくない・楽しくないと思いながらしている勉強が、本当にその子のためになっているとは思えません。「今は嫌でも後できっと役に立つよ」とも言えません。自分の人生を振り返ったときに、その勉強は高校受験や大学受験で必要だっただけだから。「高校なんて行きたくない」「大学行かんから勉強せん」と言い放つ子供たちにとっては、何の説得にもなりません。

実際、私も勉強が大嫌いな子供でした。今も嫌いです。教員時代の研修会も大嫌いでした。それは、人から強いられる、自分にとって必要感のない勉強だからです。

中学生はテストの結果が番数でも示されます。中3の娘は決して番数が良いほうではありません。数値としてはっきり表れると、親としてはがっかりして、「スマホばっかり触ってないで勉強しなさい!」とつい叱ってしまいます。でも、悲しむ我が子を見て、ふと、「こんなにも家族思いで友達思いの優しい子なのに、学校の勉強を基準にこの子に番号を付ける必要があるのか!?性格の良さで番号を付けたらきっとこの子は一番!」と思いました。

親として「生きていてくれるだけで十分」と思っているつもりの私と、毎日のように「字が汚い!」「ちゃんと勉強しなさい!」「ゲーム禁止ーーーー!」と叱ってばかりいる私。

学力ってなんなんだろう。

何のために勉強するんだろう。

「学力がすべてではないけれど、いつか自分を助けてくれる武器の一つにはなるかもしれない。そのために勉強しよう!」

うーん。無理があるかな・・・。やっぱり説得力がないかな・・・。

着地点が分からなくなったので・・・。

おしまい

読んでくださりありがとうございました。



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