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ゴッホがいた日

人生で一番感動したこと。

昨年のヨーロッパ一人旅で
はじめて、オランダにあるゴッホの美術館に行った。

正直、そこまでゴッホに強い思い入れはない。

高校一年生の時、ニューヨークの美術館で
『ひまわり』をみて人並みに感動したくらいだ。

人並みに。

ゴッホの美術館に行ったのだって
なにか、自分がアムステルダムにきた、という自覚と証拠が欲しくて行った、というほうが正しいと思う。

確かに、彼が描く絵は奇妙でそれでいて落ち着くというか、魅力があるので本物を見てみたい、という気持ちは少しはあったが、
美術的な知見がどうとか理解を深めたいとかでは全くない。

理由は単純にわたしが美術の知識に乏しいから。

幾ら昔から母や祖父が絵を描こうと
とくに西洋絵画に特別興味があったわけではなかった。

好きではあるけど。
あ、めんどくさいなわたし。

実際、ミュージアムにはいってみても
その気持ちは変わらなかったし
規格外に感動することもなかった。

ゴッホが生涯描いた絵を見ながら考えたことといえば、

ああ、わたしも今度絵を描くときは、影を水色や桃色にしてみようかな。

くらいだった。

わたしは飲み込むのが遅い女だ。
たぶんそれは長く噛みすぎるから。

全て見おわると
あっというまにあたりは暗くなっていて、
わたしは高速バスでアムステルダムからロッテルダムまで移動した。

ちなみに、ヨーロッパではバスは一番安価な移動手段だ。だからこんなことをいうのはどうかとおもうが、少し危ない。

(信用性には少し欠けるという意味で、わたしはこの旅で一度バスがこなかった)

そのバスは平日だからか
わたし含め、乗客は10人ほどしかいなかった。

まわりにはだれもいなくて
ゆったりとして、自分の心が落ち着いていくのもわかった。

そのときに、わたしはやっと咀嚼を終えて
飲み込んだらしかった。

夜、ハイウェイを走る薄汚いバスにのり、
外にうっすら見える家々の明かりを見ながら
わたしは気づくとボロボロ泣いていた。

なぜだかわからないけど、
あのヨーロッパのハイウェイからの景色に
YUKIの歌は驚くほど合っていた。

わたしはここに、ひとりできたのだ。

世界の果てで、母や父がみたことのない景色をみた。わたしはいわてからでてきて2年、ついにゴッホまでみてしまった。ゴッホが家族に書いた手紙を読んでしまった。彼の死際の闘争とはなんだったのか、なぜ左耳はないのか、彼の住んでいた場所はどんなだったか。すべてを見てしまった。

井の中の蛙が大海を知った瞬間だった気がする。

岩手の山奥で育ったわたしが、
アムステルダムでゴッホの作品をみたこと。
いやむしろ、ゴッホをみたこと。

そんなことを考えて、わたしはぼろぼろ、ぼろぼろと泣いた。ただただ幸せだった。生きていてよかったとおもった。


一年間一生懸命ためた15万円。
ほとんどは航空費に消え、手元に残った5万でヨーロッパ3週間を生きのびた。

わたしはカードもなければWi-Fiももたないのでこれは一重に巡り合ったいろいろなひとに助けられているとしか言いようがない。

アムステルダムに降り立ったひ、
飛行機でとなりになったおじさんがオランダ版Suicaを旅を楽しめと買ってくれた。
ユトレヒトで乗る列車が分からなくなったわたしに、女子大生ジーンちゃんは声をかけてくれて観光名所やおいしいご飯屋さんをきいた。
ロッテルダムでは真夜中に着き、迷った私が話しかけたら手を繋いで一緒にホステルまで連れて行ってくれたおかまちゃん。
パリで滞在先にこまっていたら、以前東京で一度会っただけなのに泊めてくれたオリビエ。
それに会ってくれた友人たち。

いまはコロナでどこも大変なのだろうけど
また、おとなになったらもう一度いきたい。

また高速バスにのるんだとおもう。

YUKIの曲だって
何故あの景色にあってしまうのかの謎は解けていないからまた聞くんだとおもう。

そしてまた涙を流すかもしれないし、
そうはならないかもしれない。

いわてから届くお母さんの手紙にはいつも、
幸せになりなさい、とかいてある。

そのとき、とりあえず私の幸せをひとつは伝えられそうだとおもった。


おわり




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