一回目のこと~うつ発症からうつを無視するまで~
無視していた期間も含めてですが、うつ歴10年です。
今回は1回目の発症について振り返りたいと思います。
もともとの既往歴は小児喘息が3歳から15歳まで。
子どものころからずっとおなかが弱く、今でいう過敏性腸症候群だったんだと思います。
(だったと書いてるけど、今も多分そう)
基本的におなかは快便で、便秘は一度もしたことがない。って書いたらとても健康的な身体だと思うけど、
朝食は食べると学校につく前におなかが痛くなって下痢状態になってしまうから、絶対ビオフェルミンを飲んでから学校に行ってました。牛乳やヨーグルトなんて絶対朝に摂れない。
そのほかにも、異常に胃(もしくは腸)が痛くなりやすくて、いつもおなかのどこかしらが痛かった。
でも、病院に行ってもなんら異常はなし。
だから、毎朝のビオフェルミンと、胃が痛くなった時の胃薬は欠かすことなくって感じの小学校~高校生時代でした。
転機が訪れたのは、大学に入って一人暮らしを始めてから。
いつの間にか毎朝のビオフェルミンを飲むのをやめていた。
おなかが痛くならなかったわけじゃないけど、一人暮らしのアパートから大学がすごく近くて、緊急事態に陥るリスクが減ったから。
あとは、朝食をとらなくなったから、おなかへの刺激が減ったんだと思う。
それでも、おなかがゆるめの状態は続いていて、すぐ胃が痛くなるってのは変わらなかったけど、そういうもんだって慣れてきていた。
高校までの学生生活と、大学の学生生活は全然違くて、まったくなじめず、
話すクラスメイトはいるけど、友達はいないって感じ。
サークルも属せず、委員会活動とバイトはしっかりやっていたって感じだった。仕事的なことはすごく生き生きこなせるけど、サークルとか人間関係を築くものはなんか敬遠していた。
そんなこんなでなんとなく、夜寝つきが悪くなり、朝起きれなくなり、授業開始時間に起きるってことが何回か続いていた。
寝つきが悪いのはもともとだからあまり気にしていなかったけど、朝は強い方だと思っていたから、時間通りに起きれないことがショックだった。
それまでは授業は開始5分前には必ず着席していたので遅れて出席するなんて考えられないと思った。(完璧主義なんだと思う)
そんなことが繰り返され、だんだん2限目以降もいけなくなっていった。1限目に出席していないのに、2限目から出席するなんて。。。って感じていた。
どんどん大学自体に行けなくなっていった。授業に参加しない自分が許せなくて、起きれない、大学に行けない自分が許せなくて。
単位とるためにはせめてテストは受けないとと思っても、テストに行けなかったり、行けても、まったくできなかったり。
ふとした瞬間になんて自分はダメなんだろうって考えてた。でも全然うつとか、心が悲鳴をあげてるだなんて思わなかった。
なんで思わなかったかは、委員会活動とバイトにはしっかり行けていたから。
バイトや委員会に行けているんだから、自分は元気なんだ、大学に行けないんじゃなくて、さぼってるんだ。って考えてた。ただのわがまま、いやいや病かなって。
3年生の終わりごろ、バイトが終わったとたん、悲しい気持ちがあふれてきて、「消えたい、この世からいなくなりたい」って気持ちが強くなってしまった。
バイトは接客業だったから、数十分前までにこにこしていたのに、帰り道では全く表情が動かなかった。瞬きもしていなかったかも。どうやって帰ったのか覚えていない。でも家に帰ったら、泣いていた。
子どものころから人前でも、一人でいてもあまり泣かない子どもだった。だから涙が出ているってかなりの異常事態だと思った。
しかも止められない。
さすがに、いやいや病じゃないかもしれない。と思った。
ネットで症状で調べると、うつについて出てきた。セルフチェックをしたら、「重度うつ」ってでた。
どうしたらいいのかわからなくて、とりあえず近くの病院を予約していった。
この時の病院では、待合室で、問診票の記載と、アンケートをやった。このアンケートがネットでやったものとほぼ一緒だった。
その後の診察で、簡単に状態を聞かれて、5分ぐらいで診察がおわって、薬が出されて、終わりだった。
その次どうするかとかはなかった気がする。
そんなに混んでいる病院じゃなかったのにこの対応って、心療内科ってどこいってもこんな感じなのかなって感じて、
病院に行っても仕方ないのかもしれないって強く感じた。
病院に行ってもあまり変わらず、今後どうしたらいいんだろうと思った。
確実に次の年度には進めないし、このまま大学に在籍していても、いつまで経っても授業をまともに受けることはできないと思った。
そして、3年次の終わりに退学することを決心し、当時の専攻の教授に申し出、退学が受理された。
ここまで、一度もだれにも相談しないまま来ていた。
当時長く付き合っていた恋人はいたけれど、「完璧な私」をみていてほしくて、まったく相談もできず、大学に行けていないことも言えていなかった。
さすがに親には申し訳ないと思い、退学直前に体調がすぐれず、大学に行けていなかったこと、退学することは伝えた。
かなり驚かれたし、言葉には出していなかったけど、落胆していたと思う。
このとき”誰か”に相談できていたら、違う選択肢を考えられたのかもしれない。または、これよりももっと前に相談できていたら、ここまで悪化することはなかったのかもしれない。
未だにこのときの退学するという選択肢が正しかったのかはわからない。
退学後、3か月ほど大学がある地域に残り、それまでやっていたバイトを継続した。この時はすっきりとしていた気持ちが大きく、バイトに打ち込めていたと思う。
一方で、同じ大学に通っていた恋人とはそのまま付き合い続けていたし、一部の友達とは連絡を取り合っていたため、どこかうしろめたさというか、自分が恋人や友人でいいんだろうか、と考えることが多くなった。
大学を辞めた私には、その地に住み続ける理由はなく、地元に戻ることになった。
薬はとっくに切れていたけれど、別の病院にかかろうとは思わなかった。意味のないことだと思った。
地元に戻ってからは、何もしないでいるのは落ち着かなく、週5~6でアルバイトをしていた。
就職しないといけないという気持ちが強く、でも、自分には何もないという気持ちが強かった。
何とかしないとと思い、資格を取って正社員として就職することにした。
そして、約5年ほど経った2年前、うつが再発した。
退学してから再発するまでの間、うつ状態から、治っていたのかといわれると、違うと思う。
無視していただけなんだと思う。
調子が悪いことは気のせい、眠れないのもいつものこと。うつ状態がふつうの状態だと思っていた。
再発してからの2回目のことは別の記事で書きます。