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始める。新しく、懐かしい世界。


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文字にして残すことが好きだった学生時代。今みたいに動画サイトなどもほぼ無くて、ブログで自分の想いを表現する時代に育った私は、今の時代にまだ乗り切れていないかもしれない。

が、それでも動画を見るのは好き。それに、近い将来動画で自分の想いを伝えるという事が出来る様にしたいと思っている。

ふむ。なんとまあ矛盾のような言い訳。結局いつかやろう、今できないのは忙しいからだ、情報が足りてないからだ。そうやって自分を納得させて「仕方ないことなのだよ」と言い聞かせてた。沢山の否定的な言葉を並べて、動けなくなってたのは人のせいでも環境のせいでも無く、自分である。

わかっている、だからもがいて。いざ、新しいものを開くと色々思いがあるのに手が止まる。格好付けたい自分がいるのか…本音を見せるのが怖い自分がそこにいる。私は、どんな私だって描いて良いはずなのに、他者から思い描かれた“私”で私自身を縛ろうとしているんじゃないのか。


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私は普段ヨガインストラクターのお仕事をしながら他の職種の仕事もちょこちょこしている。そしてプライベートな所だと、アニメや漫画が大好きな所謂“オタク”要素も持ち合わせている。


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私はヨガインストラクターの仕事をするのが目標、生きる道になっていた(いつか経緯を話したい)でも私には沢山やりたいことがある。とりたい資格がある。経験したい業種が沢山あって、一つに絞りきれない性格である。人生一回きりなんだったら、沢山やりたいことする人生にしたい。

だけど、それを胸を張って言えない。何事にも中途半端な人と思われるんじゃないかと少し怖かった。そして、別の一面を他人に見せることが怖かった。

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それがこのプライベートな所、オタク要素。この部分は仕事と切り離して考えていたけれど、たまにひょっこり顔を出す。ただこの部分と、仕事をしている自分のギャップが凄くある(と、自分では思っていた)だからこそ、そこで引かれるのではないか、気持ち悪いって思われるんじゃないか。そんな事がたまによぎった。これは多分、大昔私はその当時の身なりと、アニメ漫画オタクということでいじめを受けたことがトラウマで勝手に引きずってるんだと思う。だから人によって色を変え性格を変え、本来の自分のありかがわからなくなってたのかもしれない。らしくない自分をずーっと続けるのは、誰だって辛いんじゃないかな。

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私は基本的に、インストラクターやフィットネス関連のお仕事の時はhitomi で仕事を受ける。でも、もう1つ、私にはもう1つの名前がある。


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それがsaria 。これはもうかれこれ10年ほど前に自分につけた名前。とあるコンセプトカフェバーで働いた時に決めたもの。その時ばかりで終わらせる名前が、いつの間にかコスプレする時も「色々名前あると面倒だし、いっか」と、そのまま使い、ゲームで「自分の名前を決めて冒険に出よう!」なんて時も「じゃあsariaでいいか 」と、ここでも使い回し。気付いたらサブカル関連は全てsaria で活動していた。だからこの名前には愛着がある。noteを始めるにあたってまた“名前”の入力で少し悩んだ。でも、どちらも私なんだ。

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ヨガが大好きで大切で、教えることも学ぶことも好きな私と、アニメの続きが気になったり漫画で感動したりグッズ買ったりコスプレする自分は、どっちも大切な自分じゃないか。切り離すことはなかったんだ。

だから2つの名前を並べることにしてみた。でも=(イコール)で表記はせず、あえての≒(ニアリーイコール)。イコールではないけど、ほぼ等しいといった意味合いをもつ記号。名前にこんな使い方することが、所謂厨二病なのかな〜(笑)なんて思うけど、それでもいっか。


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ずば抜けた能力もない、身体がすんごく柔らかいわけでも、スタイルがいいわけでもない。好きなものへの知識だって実は大したことないかもしれない。でも、自分に対して嘘をつき続ける人生にはしたくない。多分私は人一倍なりたい自分に憧れて飢えてるんだ。

文字にして残すのが好きだった学生時代。また、文字にして残すのも良いんじゃないかな。自由に好きなように見たもの、学んだもの、思ったこと、残していきたくなった。新しい世界で、どこか懐かしい。文章に残すという行為は、私をまた未知なる世界に連れていってくれるような気がする。

これからどうぞ宜しくお願いします!




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