【日記】6月21日

あ!日記を書いていたのすっかり忘れてしまった。三日坊主ならぬ1日坊主。はぁーん。
まあ情けないくらいに寝落ちの1日であった。
そして、起きたらちょっと食べた。
ずっとずっと肚を決めていくのかどうか、それを迫られてるような気がしていた。
そかこから逃げようだとしていたけど逃げる気力もなくなり、ついなには寝るか食うかしか逃げる術をなくしてしまった。
これがどうしようもない時間稼ぎでしかないことはわかっている。でもまだどこか逃げてしまう情けない私。
何から逃げているの?と問われれば、「これからどう生きていきたいの?」という問いかけからだ。
答えはもう出ている。とっくの昔に。
「愛に開いて、愛として生きていくこと」だ。
恐れを手放すことができなかった。慣れた生き方を手放すのが私は怖く、面倒くさく、逃げ出したかった。
変わりたいけど変われない宙ぶらりんさで信じられないくらい情けないことをしでかし、人に迷惑をかけた。
そんな私がみんなにお詫びをし、そして相手を許す唯一の方法は愛に開いて生きていくことだけなのだ。
愛に開いて生きていくことが唯一の選択肢なんて、なんて優しい世界なのだろう。
わかっているけど、まだ私は今までの生き方にしがみついていたかった。
だけど、愛を信じずに閉ざして生きていくことは、結局自分を苦しめるだけである。
大切な人とわかりあえないとてもとても悲しい出来事が続いてしまい、つい心を閉ざしたくなってしまったが、もうわたしが生き直す方法は愛にひらいていくことしかない。

今日は夏至。「どう生きていきたいのか?」を決めることでそうなっていく、とてもパワフルな変化のエネルギーを受け取った日であった。
夏至点にオンラインの瞑想会に参加した。
ぐるぐるとさまざまな感情が渦巻く中だったのだが、恐れや不安が瞑想しているとそれらの感情たちが歌になり(言葉にならない言葉で歌ってた)、手先が踊り出したり、そういった表現として不安も恐れも昇華されていったような気がした。ふと「愛してる」という言葉が口をついて出て、私が愛に落ち着くまでずっとその言葉が私の口から溢れ出ていた。
気付けば私は愛に落ち着いていた。
ほんとうは、その「愛してる」の言葉はいつどんな時も鳴り響いているのだろう。とふと感じた。
不安や恐れにばかり気が行くと聞こえなくなってしまうだけで。
私は、私たちはどうしようもなく愛されている。
愛を信頼して開いていくことでしか、本当の意味で幸せにはなれないようになっている。これはもう、この世界のしくみ的に。
なんて優しい世界に生きているのだろう。
私もあなたもただ愛なのだ。
お金があってもなくても、腹がたっても美味しいもの食べてああ幸せねと感じていても、誰かに殺意をおぼえようとも腹が減って死にそうだとおもってぐれそうになってもいついかなるときも愛でないときなんてないのてす。
そうだ。それをいつも忘れないで、信頼していきていけたなら。
私は愛に満ちたあなたと生きていきたいです。

さて、あなたはどうですか。


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