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大学院入学1ヶ月で休学した話

大学院に入学してまだ1ヶ月半。
私は「適応障害」との診断を受けた。

私は大学で臨床心理学を専攻し、
臨床の場面で活躍する心理職を志していた。

でも、なぜ志したのか、きっかけはわからない。
なんとなく「人と話すのが好き」だとか
なんとなく「人の心に寄り添いたい」だとか
なんとなく、でここまできてしまっていた。

心理職は、想像以上に険しい道のりである。
「公認心理師」とよばれる心理職の国家資格を取るには、大学院まで進学する必要がある(厳密にはいろんなルートがあるけれど、大学院に進むのが最もオーソドックスではある)。
心理実習を決められた時間数こなし、先生からのSV(スーパービジョン。実習を振り返り指導教員からご指導をいただく時間)を受ける。
加えて大学の学生相談室についてもケースを持ち、SVを受ける。
実習ごとに活動日報を書く。実習関連の提出書類も、莫大なものだ。
また、自らの研究したいテーマを一つ持ち、臨床的意義のある研究を2年かけて行う。
テーマに基づいた実験や介入の実施を通して修士論文をしっかりと書き上げ、
その上で「公認心理師」や「臨床心理士(民間資格)」を取得して、
大学院の修士課程を卒業する必要がある。
加えて学会への参加(自らが発表することも)や論文投稿も行う。

平日は授業やTA(ティーチングアシスタント。先生の授業のお手伝いを行う)、実習等に追われ、休日に研究を進めたり論文を書いたりする。
バイトやプライベートに割く時間もない。
カレンダーなんてあってないようなもので、土日も潰れる。
そんな修行僧のような日々を送るのである。

心理職は、ハッキリ言って、人の命を扱う職業である。
カウンセリングに訪れていたクライエントさんが、自分が担当していたクライエントさんが、カウンセラーの言葉一つで深いかなしみを負い、将来に望みを持てなくなって自ら命を絶つことだってありえる。
心理職は、相当な熱意と覚悟がないと務まらない。

その割に心理職は、薄給である(個人の感想)。
仕事内容とお給料が釣り合っていない。
大卒と変わらないかちょっと安いくらいである。
仕事内容に見返りを求めてしまう人には
とりわけ向いていないと思う。

わたしは、このことを頭ではわかっているつもりだった。
大学4年間でせっかく培った臨床心理学の知識を
こころを悩む人にできるだけ還元したいと強く思って大学院に来た。
自分が通っていた大学の入試には落ちてしまい、
外部の大学に来た。

しかし、である。
私は入学してたったの1ヶ月半で、
身体と心に不調をきたしてしまった。

何もされていないのに涙が止まらない。
寝ても寝た気がしない。超疲れてる。
先生や、研究室の先輩に怒られる夢を見る。
別に早く起きなくても良い日でも6時に目が覚める。
将来のことを考えて憂うつな気分になる。
考える力がない。
人の発表を集中して聴けない。
周りと比べて自分は出来損ないだと思って辛くなる。
朝起きてから体を起こすのに2時間くらいかかる。

具体的にはこんな症状があった。
臨床心理学をかじっている身としては、客観的に見ても
「これ、絶対にうつやん私…」とおもう。
カウンセラーとして、診断基準に基づいて病状を理解するなら、
うつ病にあてはめるのが自然であると思う。
異変を感じてはじめてメンタルクリニックを受診した時は、
涙が止まらなくて何もうまく話せなかったけど、
問診のMINI(うつ病をスクリーニングする質問紙)がカットオフ値を超えたことや、涙が止まらず話すことさえままならなかった私を見て、
「うつ病の可能性が高いですねー」と告げた。
「診断書どーする?書けるけど、いったん親御さんと話してみたら?」
と言われたので、いったん持ち帰ることにした。

うつ病と言われたその日、父が一人暮らしの私の家まで車で来てくれた。
そして父の車で実家に帰り、これからについて話し合った。
両親に話を聞いてもらって、少し気持ちが落ち着いた。
次の日、別の医療機関を受診した。
こんどは、「適応障害」と名がついた。
少し気持ちが落ち着いたこともあり、
このときはきちんと自分の病状を伝えることができた。
どんな要因が私をこうさせたのか、という根本的なところを辿ると、
やっぱり将来への不安や多忙のストレスが強かったのだと思う。

まだ実習も始まっていないのに
これからなのに
こんな病気になってしまうなんて
甘い。弱い。情けない。
というのが今の私の心情です。

うつ病とか心の病って、「逃げ」だとか「甘え」ではないんだと、
授業でさんざん学んできた。だれにでもなりうるものだ、と。
だけど、自分がいざなってみると、
責める矛先が自分に向いてしまうなあと思います。
研究室というチーム単位で動くこともたくさんあって、
これから実習が始まるところで、
両親にも一人暮らしでいろんな面から支えてもらっていて、
たくさんの人との関わりの中でサポートがあったにもかかわらず、
こんな状態になるまで誰にも頼れなかったことが、申し訳なく思います。

いまも、この先のことを考えると憂うつで仕方ない。
脳の前のほうが、ずーーーんと重たい感じがする。

できることなら、心理の道からは離れたい。
ワーホリにいきたい。シドニーに。
それまでは金を稼ぎたい。
学歴なんかに縛られないような職場が良い。
ハウステンボスに行きたい。
友達に笑顔で会いたい。グランピング行きたい。
家族にいつか、親孝行しなくちゃ。

なんかじぶんではうつっぽいと思っているけど、
希死念慮も沸かず、前向きに生きているのは
今まで自分と関わってくれたすべての人たちのおかげです。
一番でかいのは間違いなく、こんなに弱音ばかり吐く私を見ても
どっしりと構えていてくれて、話を聞いてくれる母親と、
どこでも車で迎えにきてくれる優しさと包容力で溢れる父親。

来週、先生のもとで休学届にサインをもらい、提出してきます。
それまでは、テレビやラジオをおともに、
のんびりと自分を振り返る時間にしたいと思います。


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