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『小鳥ことり、サクラヤマのぼれ』27


【ヒワからの話】

 トモちゃんについて。
 施設での出来事は、スタッフの証言で『事故』扱いとなった。
 おじいちゃんはその前からずっと不穏な言動を繰り返していたというのだ。
 その日も、スタッフの目を盗んで隠していた包丁で自分を切ろうとした。そこにたまたまやって来たトモちゃんが、包丁を取り上げようとして、もみ合いになり、包丁は結局おじいちゃんに刺さってしまった。
 トモちゃん自体が何も覚えていないし、部屋にはカメラなどもなかったし、長い時間はかかったものの、トモちゃんは、結局、罪を問われることはなかった。
 なんにせよ、今ではトモちゃんとあまり会うことはなくなってしまった。
 彼女はカメラの仕事に戻り、今日も世界を駆けまわっている。
 それだけだったらこの時代、メールとかビデオ通話とか、何でも連絡の取りようはあるんだけど。
 私はもう以前みたいにトモちゃんに話しかけることはもう、ないだろう。
 何かうっすらとした膜が、ふたりを完全に隔ててしまった……彼女は一生、気づくことはないかもしれないけど。

 シンおじさんは最後まで多分、本当に『呪われていた』のに気づいてなかったんじゃないかな? 罪悪感はともかくとして、シンおじさんは普段からなるべく、彼らと関わり合いにならないように逃げまわっていたようだし。 
 あの日から間もなくして、シンおじさん夫婦は四国にバスツアーに参加した。でも、高速道路でエンジントラブルから火災になったバスに取り残され、おばさんは何とか助け出されたけど、おじさんは間に合わなかった。死亡者はおじさんひとりきりだった。
 柏田の本家は従兄が売りに出してしまった。更地で売りたかったらしいけど、屋敷を取り壊すだけのお金もない、って家屋は放り出してある。
 屋敷はどんどん、人の住まない家がもつかおになりつつある。

 どうして同じ「柏田」で、豆腐石のあった家にいっときでも住んでいた私が無事だったのか、不思議だった。雨が止むまでサクラヤマにいたから?  
 どうしてなのかヤベじいに尋ねてみたことがあった。するとヤベじいは急にやさしい目になって、
「ルリさんから、聞いたよ」
 そう言った。何を? と尋ねたら意外な答えが返ってきた。
「ヒロシゲが庭に持ち込んだ豆腐石に、花を手向けたんだって?」
「花を……手向けた?」記憶になかった。「いつ?」
「それで、『ふぁん』になったとさ」ははは、とヤベじいが笑い、急に記憶がよみがえった。違うあれはカラスに驚いて、言いかけて、そうか、と気がついた。じわりと目頭が熱くなる。
 ずっと守ってくれていたのだ。あの人は。

  ルリさんについては、なぜかどこからも、誰からも追及されなかった。
 この世に最初から、存在していなかったかのように。 

 梅宮さんについても、話しておかなくちゃ。
 畑山小の児童が多数行方不明になった事件は、また、元白鳥の自治会関係者が数名姿を消したことは、始めのうちはメディアにも大きく取り上げられた。
 梅宮さんも長い入院の後、任意で何度も話を聞かれたようだ。
 彼は、何も語らなかったらしい。

 梅宮さんがひとりで家を出たのは、すでに元白鳥のことがニュースに一行も載らなくなってから更にずいぶん経った頃の、夕方遅い時間だったという。
『あの日』から、家でもめっきり口数の減っていた梅宮さんは、普段着のままで玄関から外に出た。
 その頃にはすでにお勤めに出ていたカオリちゃんは、ちょうど帰宅したところだった。いつもあまり外に出なくなっていた父親に、どこに行くの? と声をかけた。
 すっかり白髪の多くなった梅宮さんは、ふと顔を上げて、カオリちゃんの顔を数秒、眺めていたんだって。
 パパ、何? そう聞く彼女に、梅宮さんは
「よかったよ」
 ひとこと、そう言っただけで、表に出て行った。
 それっきり、梅宮さんは二度と帰ってこなかった。

  もちろん、今でも「よかった」なんて言えない人は大勢いる。
 元白鳥と周辺の地域は今でもまだずっと、巨大な隕石孔にも似た喪失を埋めようと、そしてつじつまの合わない記憶の穴を心の中で綴り合せようと、もがき苦しんでいる。
 決して埋まることのない、その穴をふさごうと。

 矛盾していると言われるかも知れないけど、それでもじわじわと、私たちは日常を取り戻しつつある。
 大量にいなくなった子どもたち、大人たち……彼らですら、少しずつすこしずつ、多くの『無関係な』人びとの記憶からは消えていった。
 私は元白鳥からは離れたけど、結局青沢市に転居して、こちらの大学に進学し、こちらで就職先をみつけた。
 ケンちゃんは逆に東京の大学に入り、あちらで腐れトマトの先輩と音楽活動をやっている。それになんと、
「ギターくれたその彼女と同棲始めちゃったよ、だから言ったのに、ヒワちゃん油断したら横取りされるよ、って」
 ルリちゃんは口を尖らせながらそう言った。でも何だか、私に言いつけた口調がはずんでいたような気もする。本当に、訳が分からない子だ。
 そう言ってたルリちゃんは、逆に京都の大学に入ることになった。

  よくあることじゃないの? と圭吾兄いはあんがいあっさりと言った。
 ことの全てを洗いざらい、兄貴にぶちまけた時に。もちろん、失恋までの一部始終まで。その時の返事がこうだ。
「そうさ、よくあることなんだよ。戦争だったり、大災害だったり。それにモチ、失恋なんてのも含めて。
 災厄なんて、大小とりまぜて、ごく当たり前の顔して世界中どこにも転がってるものなのかもね」
 どこにも同じような苦悶は転がっているのだろう。
 そして誰もが無意識のうちに穴を埋めようと、傷を癒そうと、その日その日をもがきながら暮らしている。
 ルリちゃんですら、今でも悪夢にうなされることがあると言う。
 それでも日々は流れていって、私たちはそれなりに過ごさなければならない。
「いつまでも、ここからは逃げられない」
 そんな覚悟はいつも持ってね。
 そう、日常という『こちら側』に戻れた私たちだって、決して油断しているわけじゃない、だって……
 私の心の表面には、あれから何年も経つというのに、なにかの予感がうっすらと、油の膜みたいに張ったままだから。
 そして、奥底から時おり、ひそやかな声がこう囁くのが、聴こえるから。『オオタル』はあの場に在るだけではない。どんな所にも、闇の場所は密かに息づいているんだよ、と。
 そしてそれらは、静かにしているように見えてもただ、束の間の眠りに入っているだけなんだよ、と。
 次の『時』まで……

 誰もそこからは、逃げられない。
 あの時からずっと、私はずっとそう気づいている。

 じゃあ、どうすればいい?



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