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「スタンポンの穴」 第八話

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 ぽくぽくぽく、と足音が近づいてくるのに気づいた。
 長靴の音、貴船だった。
「採れる野菜があるかな……あれ? シノちゃんどうした」
 四宮は勢いこんで
 聞いてください、視聴覚室に、とそこまで言いかけ、ふと、こう訊ねた。
「カーテン、引いてなかったですよね……あの日」
「ん? 俺らが見に行った時? 視聴覚室?」
「はい」
「なんで?」
「カーテンが引いてあったら、その時何か言うはずかと思って……暗かった、とか」
 貴船が笑顔のまま言った。
「閉まってたに決まってるさ、見られたらまずいもの」
「見られたら……って」
「エレンを穴に食わせるところを、アイツ、寸前まですげえ面白がってたよ、わあ、お化け屋敷みたいですねー、ってさ」


「エレン、これさ、ちょっと不思議でね?」
 貴船は穴の縁に立って、ひと呼吸置いてから、
「暗すぎますよー、ちょっとだけ、カーテン開けましょうよー」と黒板のところでキョロキョロしていたエレンを呼びつけた。
 えっ? 暗くて見えませんよー、先輩どこですかー?
 こっちだよこっち。ほら、ここ見てごらんよ。
 貴船は携帯電話の照明機能を使ってエレンを呼び寄せ、自分の向かい側に立たせる。
「ほら足もと」
 エレンは「ほわ?」不思議な声を上げて、言われた通り足もとに目をやる。
「かがむと、よく見えるかな~ほぉら」
「ヒュードロドロドロ~うっわお化け屋敷みたいですねー」
「だろ、ドロドロドロ……」
 言いながら貴船が穴の縁にかがむ。つられるように、エレンもその場にかがみこんだ。
 二人が挟んで見おろしているのは、教室の床、というよりは
 暗がりがそこだけ深く、底知れぬ闇に包まれている。
 どこまでも深く、暗く、そして、
 生臭い空気が立ちあがる。それはどこか、獣じみたぬくもりと同時に身体を芯から凍らせるような冷たさを併せ持ち、エレンの鼻を襲う。
「何これ」
 少しだけ、エレンの声が低くなった。
 顔を上げようとしたエレンの髪を、貴船は片手でぐいと掴む。もう片手を首すじに当て、
「すぐに済むから」
 床を見たままの顔を勢いよく床に叩きつけた。
 いや、床に開いた穴に。
 エレンは悲鳴を上げる間もなく、頭からまっさかさまに穴に落ちていった。
 両腕を振り回す間もなく、エレンはするりと逆さまに穴に落ちて行く。腰のあたりでエレンの体はいったん沈むのを止めた。
 穴は低く唸り、その唸りはうねりとなって徐々に教室中に充満する。それにともない、上に突き出したままの下半身がぶるぶると震え出した。
 穴の奥から、獣が喉を鳴らすような低い呻きが漏れる。と、同時に突き出した下半身がびくびくとけいれんを始めた。左右の脚が互いに勝手な方向に、やみくもに蹴りだされている。靴が飛び、スカートがまくれて白い下着が露わになった。しかし、それを気にする者はすでにいない。脚は次第に宙を蹴るスピードを速め、反対に呻きは湿り気を帯びて尻すぼみになっていく。一方でがりごりと何かを齧り、ずずずと吸い込む音が大きくなっていった。白い下着に、じわりと赤い染みが滲み、これもまためくれ上がって露わになった背中の素肌を下に向かって伝わっていく。と、下品な音とともに今度は腸の一部が下着の間から勢いよく飛び出し、30センチほどぐずぐずとのびあがってから、すぐにだらりと床に垂れさがった。その頃には脚の激しい躍動はすっかりと止んで、ただ、大きく左右に広がったまま、身体が沈むに従い床に落ち、ずず、ずず、と穴が吸い込むごとにまた宙に立ちあがって、今度は二脚揃って、闇に吸い込まれていった。
 白い靴下の先が最後に穴から消えた時、また、ぽんっ! と勢いのよい音が響いた。

 それを貴船はずっと黙って、見守っていた。
 最後にぽん、と破裂音が響くのを聞いてから、貴船はゆっくりと、数を数え始めた。
「ひとおつ、ふたあつ、みいっつ……」


 あそこは入口穴の一つなんだ、と貴船が言うのを、四宮は表情を動かすこともできず、ただ、聞いていた。

「でね、『穴の下僕しもべ』が相手に触れた状態で穴に誘導すれば、相手を穴に呑ませる事ができる。
 俺がエレンを穴に引き入れた。田嶋は河合に引きずり込まれたんだ。
 下僕として使えそうな者はすぐにその場で『抜け殻』を拾い上げ、そのまま利用する。
 使えなさそうなヤツならばそのまま、するとカスが出口の穴から外に放出される」
「出口の……穴」
「うん、ここだよ」
 貴船がとんとんと地面に足を打ちつける。「俺の苗がある位置」
 四宮はごくりとつばを飲んだ。貴船の声が続く。
「カスは野菜たちの養分として取り込まれ、『種』となって成長する。種をうまく育てると、たまに、『元の姿』に戻ることがあるんだって」
 貴船が腕ほどもあるキュウリを一本ずつ園芸鋏で収穫し、袋に大切そうに入れながら話している。
「成長したものも、また抜け殻らしいけどね。俺もそこまでまだ見たことない」
「……どういうことですか」
「シノ部長、オマエさ、」
 少し笑っているが、口調は乱暴だ。
「こないだ捨てたの、『田嶋の種』だったんだぜ」
「こないだ……捨てた?」
 家に持って帰ったものも大き過ぎて、隣のうちのおばさんが興味しんしんだったのでそのまま袋ごとあげてしまっていた。
 捨てたと言えば、みずきが受け取ったうちの一本だ。
 種が、確かに大きくて、貴船に聞いた通りに押してみたら次々と身から飛び出してきてそれはあまりにも……
「……みずきから聞いたんですか」

  そうだ、みずき。みずきは夏目につれて行かれた。夏目もこいつらの一味に違いない、みずきも穴に引きずり込まれたりしていないだろうか。
  僕は一人で逃げてきてしまった。僕は

「ひどいね、ケイちゃん」
 後ろからの声に、四宮は声を上げてふり返った。
 みずきがうっすらと笑って立っていた。
「いつの間に……」
 声が恥ずかしいくらいに震えていた。
「ケイちゃん、昔からそうだった。自分が夢中になったことには一生懸命だけどさ、アタシのこと、すぐ置いて行っちゃうんだもん」
「オマエ……穴に?」
「もうずっと前からだよ。ずっとずっと、ケイちゃんを誘いたかったんだよ」
 みずきの手が四宮の二の腕にかかった。いつもの温かさ、いつもの柔らかさ。
 なのに。
「うそ、だろ」
 ほんの一瞬、みずきの手指から質感が消えた。
 皮ふの表面が細かく振動しているかのような錯覚。微細な粒子がびっしりと寄り集まり、蠢きながら『成島みずき』の形を保ち続けている。
 どうして今まで気づかなかったのか、四宮はこみ上げてくる吐き気を懸命に抑え込もうと何度も生唾を呑み込んだ。
 輪郭のあやふやさにいったん気づいてしまうと、その姿はあまりにも異様で、醜悪だった。
「うそだろ」
 みずきの手指に力がこもる。
「いいアイディア、出してあげたし、ヒントもあげたしね」
「離せ……」
 指は四宮の腕に食い込んできた。信じられないような力だ。引きはがすことができない。
「オマエはすぐに引き上げてやるよ」
 貴船が迫る。
 貴船の姿を直視できなかった。
「俺は、本当にオマエのことが気に入ってるんだ、一緒に穴の下僕になれるのは嬉しいよ、さあ行こう」
「ぼ、僕は、僕は……いやです」
 目をそむけたまま、ようやくそう声に出せた。
「嫌だ、死にたくない」
 あの音が、まだ耳にこびりついている、そして匂い。
 あの男のような目に遭うのだけは嫌だ。
「すぐに済むよ」貴船の腕が伸びる。
「お、大声を出しますよ」
 菜園のすぐ脇は校外だ。のどかな田園風景が拡がり、近くにはバイパスも通っている。車通りは激しいが人けはほとんどない。
 それでも、助けを呼べばもしかしたら
「なら喉を潰そうか」
 貴船は園芸バサミを目の高さに構えた。刃先をこちらに向けて。
「ケイちゃん、幼稚園の時は泣き虫だったよね」
 みずきが笑っている。
「転んで泣いた時も、アタシよくやってあげたよね。いたいのいたいの」
 おまじないをかけようと手を緩めた瞬間、四宮はだっ、と脇に飛びのいた。

―― 逃げろ、とにかく、逃げるんだ。

 態勢を立て直し、走ろうとしたところを真正面から、がっしりと丸抱えにされた。
「シノミヤぁ」
 頭を押さえられ、仰向けにされた先に夏目の温和な笑顔があった。
「せんせい」
「どうしたんだ、四宮」
 夏目先生の声は相変わらず静かだったが、四宮をつかんでいる腕はぴくりともしない。
「せ、先生」四宮はごくりとつばを飲んで、声を少しでも平常に戻そうとつとめた。
「僕は、穴になんか……視聴覚室にはもどりま、せん」
 どうしても声が震える。「はなしてください」
 おや、と夏目が腕の力を緩めずに、顔を少しだけ遠ざけた。
「すまん……怖がらせたな」夏目はふう、と息を吐く。「わかった」
 四宮の肩をつかんだまま、夏目は貴船とみずきに振り返り、言った。
「バイパスの横の、あっちに連れて行くよ、オマエらは帰りなさい」
 それからまた振り向いて四宮の目をまともに覗き込んだ。
 ふたつの目は虚無の穴だった。
「前に俺の同級生を呑ませた所なんだ、青木って言ってね」
「それ……」
「うん」夏目は曇天の空を見上げている。
「アイツ、警察官の割に使えなそうだったからね、そのまま捨てちまったよ、まあいいや。
 行こう、さぁ、『穴』に」

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