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『小鳥ことり、サクラヤマのぼれ』05 

【地元のつき合いって】
 
 さて、いよいよひとり暮らし!
 そう思っていた夢の暮らしが始まる三月までに、当初のワクワクした思いはしかし、次第にうんざりしたものに変わっていった。
 二月末には智恵がいっしょについて、ツクネジマ町内会長の梅宮宅と、ヒワの属する第五組の組長宅にあいさつに行った。
「ねえトモちゃん、今から行く家、ウメなんとかさん? ここに住むのに何か関係あんの? あと組長って何?」
「あのねえ」智恵は、軽く息をついて振り返る。
「元白鳥はさ、川を挟んで西側が『西鳥にしとり、東側が東鳥ひがしとりって町内会が分かれているんだよ、そんで」
「知ってるよそのくらい」ヒワは口をとがらせる。
「おじいちゃんちは西鳥でしょ。昔、東鳥の子に誘われて東鳥のおみこし一緒にかついだら、この子ニシトリの柏田んちの親戚だからお菓子はあげられないよ、東鳥の分しかないから、って……ほんと、ムカついたよ!」
「そうなんだ、かわいそ」たいした同情の様子もなく、智恵が続けた。
「ま、元白鳥には元々二区しかなかったんだけど、東鳥には大山から出ている大き目の支流がいくつもあって、私が生まれた頃にそのうちの一番大きな支流と周りの田んぼを埋め立てて、団地を造成したの。で、次々と新しい人が引っ越してきて、新しくツクネジマ町内会を作ることになって。今では三地区のどこも、だいたい二〇〇軒ずつくらい家があるのよ」
 智恵が指をさす。
「今から行く梅宮さんちは今年のツクネジマ町内会長」
「二〇〇軒のボス、ってこと?」
「ボス……」智恵は、ははっと笑って「そうだね」
「組長ってのは別なの?」
「組長はねえ、近所の一五軒か二〇軒くらいがひとまとまりになってて、毎年順番に当番で組長をやるの。団地内にもいくつか組があってね、今年のヒワの第五組は、お隣の富田林さん」
「じゃあ……」ヒワは空を見て考え考え言う。
「組長が小ボスで、町内会長が大ボス?」
「ちょっと待って続きはあと」
 ふたりは梅宮宅の門をくぐった。
 梅宮宅には先客がいた。
 背の高い白髪の、堂々とした体躯の男が玄関先をいっぱいに塞いで、中の人間と低い声で話をしていたが、ヒワたちの気配を感じ、すぐにふり向いた。
「ああ、クワハラさん?」
 智恵はすぐに相手が誰なのか分かったように、呼びかけて笑顔を向ける。
「ちょうどよかった、団地に姪がしばらくお世話になります」
 クワハラ、と呼ばれた男は難しい顔をしていたが、奥にいた梅宮が早口で
「柏田さんとこの、トモちゃんだよね? 後ろの子は、こないだの話の?」
 そう補足すると急に、笑顔になった。
「ああ、聞きましたよ、よろしく」
 智恵が小さな声でヒワをつつく。
「桑原さん、元白鳥の三町内会を束ねる、自治会長さんだよ」
 つまり、元白鳥の西鳥、東鳥、ツクネジマ団地の三町内会区を管轄する自治会の長なのだということらしい。
(自治会長、町内会長、組長で大中小……で、これが大ボスか)
 ヒワが口の中でもごもご挨拶をすると、桑原は鷹揚に手を上げて、ではこれで、と梅宮宅を去ろうとした。去り際に梅宮に
「じゃあ、さっきの件もよろしく」明るく声をかける。
 はい、と梅宮はやはり明るく答えたものの、何か気になるように彼の背中をずっと目で追っていた。
 そして彼が車に乗り込むとすぐにヒワと智恵とに目を向けた。
 梅宮は痩せて背の低い六〇代後半くらいの感じで、ちょっと目を離したらすぐにどんな人物か説明もできなくなりそうな、これといった特徴のない男だった。
 そして、どこか心ここにあらず、というふうにふたりを順繰りに見回している。
「お忙しい所すみません」
 智恵の挨拶に、いやいいんですよ、と言いながらも急に本題を思い出したかのように、顔をわずかに引き締めた。
「女子高生の、ひとり暮らしなんですよね……二年生ですか」
 何か言いたげな目が気になったのか、智恵は「すみません」と殊勝に頭を下げて
「近くに叔父夫婦も住んでますし、私も駅近くに住んでますし、実家にも連絡はこまめに取るよう伝えてあります。万が一何かありましたら、こちらの連絡先に」
 差し出した名刺を片手で遮るようにして、梅宮が言った。
「いえ、そちらのおじょうさん自身は特に問題あるとは思えませんがね」
 何でも、今年に入ってから、団地の第九組に住む女子高生が行方不明になったのだと言う。
「その子も二年生でしたがね」
「そうなんですか」
「と言っても、その子はちょっと」急に声が小さくなる。
「交友関係で何かと、あったらしくて。たぶん家出じゃないか、って」
 おかげで町内会も何かとドタバタしてまして、と取ってつけたような笑い方をした。
 横目で智恵を見ると、
(うちのコはそんなコトありませんからね!)
 みたいに大きく目を見開いて小鼻を膨らませている。相手を威嚇する表情らしいが、どこか可愛らしくヒワは思わず笑いそうになった。
 では、と立ち去ろうとしたせつな、玄関脇、ヒワたちをすり抜けるように、、小柄な少女が入ってきた。
 紺色のブレザーに暗いチェックのプリーツスカートを短めにしているが、どこかの高校の制服のようだ。
 同じ年くらいなのだろうか。少女は軽くヒワたちを一瞥しただけで、黙って玄関を上がっていく。
「おかえり」
 梅宮が声をかけても、返事はない。「今日は早かったな」
「また出かけるから」
「どこに」
「……」何か答えたようだが、梅宮が確認する暇もなく、彼女は奥の部屋に消えた。
 智恵が問いかけようとすると、梅宮が先に
「うちの下の子で、カオリ、高校一年です」
「ああ……」
「なかなか、言う事きかなくて」ははは、と梅宮が照れくさそうに笑う。
「どこもおんなじですよぉ」
 智恵は自分の娘でもないのに、ヒワの方をみてカラカラと笑ってみせる。
 ヒワは、少女の消えた方にまた目をやった。
 父に似ているのかどうかも、よく分からない感じだったが、梅宮と同じように、少したったらすぐに忘れてしまいそうな、印象の薄さだった。
 それでも梅宮は愛おしそうな目を、少女の消えた方にさりげなく向けていた。
 
 それであいさつが済んだと思ったら、今度は次年度の組長宅にもあいさつとなった。
「小ボスにも会わなきゃなの?」ヒワは頬をふくらませる。
「だから地元のつき合いって……」言いかけるヒワに智恵はぴしゃりとくぎを刺した。
「小ボスが、いざって時に一番お世話になるから、重要なのよ」
 そう言いながらも
「まあ、順番でやるんだから誰でもできるんだけどね」と肩をすくめた。
 町内会長の梅宮はそのまま続投だとのことだが、組長は第五組内の一四軒で毎年持ち回りになるのだそうだ。
「柏田さんちには、もちろん組長は回していませんけどね」
 空家になっているということで智恵の家は組長も免除されていたらしく、次年度の組長となる隣家の富田林とんだばやしという白髪の男は、そこをかなり強調するように何度かそう言った。
「うちの五組はそれでなくても軒数が他所さまより少ないんですがね」
 粘りつくような口調が、ヒワにはどうにも不快におもえた。
 生垣を挟んで隣というのも、何となく気分が良くない。
「まあ、ゴミ拾い活動とか出てもらいますし、不燃物当番とかは、順番でお願いしますからね」
 はい、はい、と智恵は自分がやらない気軽さからか、愛想よく返事をしている。
 帰り際、小声で智恵に
「でも部活とか入ることになるかも、そしたらできないかもよ」
 そう文句を言うと、智恵はあはは、と笑って
「ヘーキヘーキ。『出不足』って言って、出られない時には決まった金額払えば免除されるから」
 えっ、と驚いて立ち止まったヒワに、智恵はどん、と胸を叩いてみせた。
「その都度言ってくれれば、私が払うから大丈夫だよ」
 その言葉を本当に信じていいものか。
「たとえ何千万でも何億でも、払うからね~」続く智恵のあっけらかんとした笑いの中、ヒワのため息はますます大きくなった。
 

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