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梅雨入りしたね

書き出しはなんて書こうかな…そう思いながら日々過ぎてました Σ(゚д゚lll)ガーン
ぼちぼちと思っていたはずが、やっぱりなんだかんだとやってきて
気付くと6月も半ば。
でも当初の予定通り、自分のペースでやれてます✨

ちょっとここで、私が何故障がい福祉の道に進んできたのかを
お伝えできればというか、振り返ってみようかなと思います。

そもそも私が障がい福祉に関わることになったきっかけは、
今から約20年前、当時の夫が癌で亡くなってしまい
でも3歳と生後5ヶ月の子どもを「どうやって喰わせていくか」と
就職活動をして、両手両足では足りない位の履歴書を送り
そしてやっと面接までこぎつけたところが
当時はまだ措置費だったころの「知的障害者通所更生施設」の
事務員の求人だったことです。
それまでの数年間は、専業主婦だったこともあり
完全に浦島太郎状態の社会人〇年目のやつれた子持ち。
「障害者」ってどんな人?!
そう思いながらドキドキして入職初日を迎えた記憶があります。

最初は臨時職員というパート職、それから2年後に試験を受けて嘱託職員に
それから1年後に再び試験を受けて正規職員になりました。
当時の先輩職員には公私ともに本当に色々と相談にのってもらい
彼女の教えは今も心にしっかりと刻んでいます。

そう
当時私は母子寮(現:母子生活支援施設)の入寮者(利用者)でした。
なぜそのような生活を送ることになったのかは、また別の機会に…。

ドキドキして初出勤日を迎えてから順調にステップアップ。
そんな中、長女の成長に「アレ?利用者さんと同じようなことしてるな」と
気付き、その気付きが増えていき
彼女も困っているように見え、
保育園の先生も時々困っているように見え
でも家では良きお姉ちゃんを頑張ってやってくれていました。

買い物に行ったとき、こんなエピソードがあります。
私 :「長女ちゃん、次女ちゃんはまだ赤ちゃんだから、
    ベビーカーから落ちないように見ててね」
長女:「うん(頷く)」
いそいそと買い物カゴから買い物袋に荷物をつめる私が
ふとベビーカーに目をやると、
長女はベビーカーを両手を広げて守ってくれてました💕
赤ちゃんだった次女に、私の言いつけを守って
一所懸命に自分の体を呈して守ってくれていたのです。
そんな姿にほっこり。
周りの買い物客のおばさま方も笑顔で見守ってくれていました。

そんな長女が保育園や休日に他のこと遊ぶ時に困っていることが増え始めて
私なりに一つずつ解決策を長女に伝え
長女もそれを愚直にやってみる、という事を繰り返していましたが
家では私と長女とまだお座りが出来るくらいの次女とで
意思疎通に困ることもなかったからか
外に出るとなかなか上手くいかないこともあり
その度に長女が泣いたり怒ったりして帰ってくる、
という事を繰り返していました。

なんとなく成長が気になるな…

そう思って母子寮の担当職員に相談し
「あんた、気にしすぎよ」
確かに、私の環境の変化に誰もがそう思ったと思う。
私もそう思おうとしたけども
なんか引っかかるんよ。

その思いを何度も繰り返し伝え、児童相談所を紹介してもらった。
そこで私と児童相談所の職員、長女と児童相談所の職員と別々での面談を行った。
私の方が先に面談が終り、長女たちを待っていた。
そして戻ってきた長女を面接してくれた職員からの言葉は
「お母さん心配しすぎ!大丈夫よ。」
そして私を面接した職員からも
「色々あったけん、疲れとるんよ。」
確かにその部分が無いとは言えない。
でも違うんよ。もっと、なんて言っていいのか…
そういえずに「そうですか…」と答えた。
「専門家が言いよるけん、そうなんやろうか…」
完全には払しょくできないモヤモヤが残った。

それから数年後、小学校に入学してからも長女は頑張っていた。
困った事があった時は、私に一生懸命それを伝えてくれた。
そうやって彼女なりに、他者とのコミュニケーションの取り方を
一番身近な大人である私に習っていた。
上手くいくこともあったが、なかなか上手くいかないことが
少しずつ増えていったように記憶している。
そうして2年生になったある日、学校からの電話で確信した。
「このままじゃダメ。長女がもっと困っていく」
そこから療育センターに診断の予約を入れると、半年先。
3年生に上がって、ちょうど今ぐらいの時期に診察となった。
午前中はほとんど検査で終わって、午後に医師の診察。
検査結果を見ながら医師が
「アスペルガーですね」自信満々の顔で伝えられた。
「あぁ やっぱり」ホッとした気持ちと、
「さて、どうしたもんかな」と気が急く気持ちが同時に湧いてきた。

そこからありとあらゆる情報を自分で動けるだけ
探せるだけ、とにかく出来る限り集めた。

自閉スペクトラム症とは、知的障害を含まない場合もあるが
自閉スペクトラム症だけではなく、文字通りスペクトラムという
連続体の中で様々な特性を複数持っていることが多く
長女もまたADHD傾向が多くみられるASDだと認識できた。

私は、色んな情報を集めれば集めるほど
「直接支援がしたい」そう思うようになっていった。
そして職業指導員、生活支援員、世話人等の直接処遇の職員の時代を送った。
その中で、今度は欲が出て「社会福祉士」を目指し、
10年以上前からどうやったら家事、育児、仕事をしながら
勉強が出来るのか分からず
また色んな情報を集めるところから始めていった。

長くなってしまった…
続きはまた今度ね。

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