いくじん

名前を出してごめんなさい
先に謝っておくわ
それとももうこんな名前では
呼ばれなくなっているのかしら
もう何年も何十年も昔の話
あなたはどこにいるのかしら

いくじんは
私が子どもの時もう大人で
だから今はたぶん50代くらいの
おじさんになっているはずの
遠い昔 幼いころ かすかなあこがれの思い出

本名は いくと で
漢字はたぶん あれだったけど
子どもの記憶だから確かではないかな
漢字の読みを変えて
まわりはみんな いくじん って呼んでたの
すごく年上のお兄さんだったのに
わたしも いくじん って呼んでたの

いつもそこにいるわけじゃなくて
ごくたまに会うくらいの
近しくないはずの距離なのに
なぜか私は彼が好きで
なぜか彼は私をかわいがってくれたの
〇〇ちゃん って名前を呼んでくれたわ
他の人に呼ばれるよりも
その響きがなんだか嬉しかったわ
彼は爽やかな好青年で
たぶんそこそこイケメンで
幼い私にはあこがれだったの

一度だけいくじんが
カラコンで目を青くしてきたことがあったわ
いつものコンタクトレンズを
口に入れているうちに割ってしまって
とりあえずこれしかなかったから
って言い訳をしていたけど
何十年も前の話
当時カラコンを持っていたなんて
いくじんはやっぱりちょっと
周りとは違っていたんだと思うの

何年かして いくじんは
会えないひとになったの
会ってはいけないひとになったの
まだ子どもだった私には
その理由は分からなかったけれど
それがルール ということは知ってたの

もうずっと忘れていたはずなのに
あのときいきなり思い出したの

いくじんと同じルートをたどって
私も「会ってはいけないひと」になったの
それはただ とあるコミュニティの中のルール
ずいぶん経ってから分かったの
いくじんはきっと私と同じ理由で
会ってはいけないひとになったんじゃないか って

だから いくじんが
今 幸せな人生を送っていることを
本当に願ってるの
「会ってはいけないひと」になったのは
何も不幸なことじゃなかったって
本当に願ってるの
私にとっても そうであることを

いくじん 元気にしてますか?
私はもうずいぶん大人になったのよ
お互いおじさんとおばさんになったのよ
会えばきっとびっくりすると思うわ

もし会えたらそのときは
教えて 私も話すから
どんな人生を送ってきたかを
きっと私たち今なら
分かり合えることがたくさんあるわ
傷を舐め合うためじゃなく
ほんとうに生きていると伝えあうために

またあの頃みたいに
いくじん って呼ぶわ
またあの頃みたいに
〇〇ちゃん って呼んで