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資本主義と神道、ザインとゾルレン

 僕は現代社会を見えざる宗教戦争の舞台として捉えているので、いわゆる宗教に無頓着な人間にも、無意識的な信仰のあり方を認めます。

 例えばこれも、広義の宗教問題と言えましょう。無意識的な信仰を可視化するところから始めなくては、資本が強いる物神崇拝に回収されるだけなのではないか(神道と資本主義の関係については下の記事でも考えています)。

 神道人にとって高天原は、時にザインとして、時にゾルレンとして現れる。その両者を一致させることが、神道的思考を貫く目的意識なのでしょう。ただしその一致は慎重であるべきとするのが僕の立場です。一致というまで飛躍せずとも、両者を調停することはできないか——こう考えるわけです。

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