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仏教✖️アート〜いのちのはたらきをからだで感じる〜

アーティスト小木戸利光さんと浄土真宗僧侶日野唯香がコラボレーションしてワークショップを開催します!!

【イベントの趣旨】

仏教はブッダが約2500年前に自身の体験とその気づきから起こり、

何千年もの時を超えて、人々の苦しみ、悲しみを救ってきました。

インドから中国、朝鮮を経て日本へ。

経典や修行、師弟から法灯は途絶えることなく今もここに伝わってきています。

その時代、その土地の風土、そこに住んでいる人々によって、

仏教はさまざまな形でこの現代まで伝えられ、受け取られてきました。

その伝わってきた教えを、受け取っていき、そして次の時代に伝えていくには、

楽器をチューニングするように伝える側と受け取る側が互いに調整をしていくことが求められているように感じています。


受け取っていくわたしたちに必要なこと。

それは、からだの感覚を取り戻すこと、つまり「感じる」ということではないかと思います。


わたしたちは言葉を使って、コミュニケーションをとり、枠組みを設定し、社会を作ってきました。

しかし、時に、言葉では語り尽くせない、そこからこぼれ落ちたところに、豊かな世界が広がっていること・・・

どうしようもなく、こころふるえる体験を誰もが一度は体験したことがあるのではないでしょうか。

言語や概念で表現できない世界を担うのがまさにアートの領域だと思います。

アートに触れた時、理屈を超えた感動や、身体全体に感じられる不思議な感覚を味わうことがあるでしょう。

仏とは、自分の思考の範囲、想定を超えた大いなるはたらきです。

これまでの概念、枠組みが必要になる場面もあるかとは思いますが、
一方で、そこから開かれていくこと、軸を持ちながらも自由に広げていくこともまた求められているのではないかと思います。

これまでの仏教はどちらかというと、教義や理論に忠実であることが重要視されてきました。

考える仏教から感じる仏教へ。

少し転換をしていくことで新たな視点で仏教が受け取れるような、そして、届けられるようなそんな気がしています。


シアターワークは、いのちそのまま、わたしそのままを表現するワークです。

わたしたちは社会的な枠組みの中で、日々、役割やすべき仕事をこなしています。

でもその下には、名前がつかないわたしがいて、ただ生きているいのちがあります。

アートとは、表現をすること。それは「創る」のではなく、おのずと立ち現れてくるもの。

それをそのまま受け取れる場が生まれてきたとき、人は大きな安心感と、喜びを感じられるのではないかと思います。

そして、それを根源的に想い出す場として、お寺のお堂が機能するのではないかと考えています。

そんな場が実現すればいいなと願いをこめて<わたし>探究堂を建てました。

おのずと立ち現れてくるものに触れることは、まさに仏の教え(法)をいただき、気づいていくこととつながっていくでしょう。

シアターワークの光が、仏教に向けて当たった時、照らし出され浮かんでくる「いのちのはたらき」を感じられるかもしれません。

そんな劇場版お堂で、シアターワークの旅をともにご一緒したいと思っています。

お申し込みはこちらから。

小木戸さんからのメッセージです。

声から届けられることばに耳を傾けてみてください。

ご縁ととのいましたら、ご一緒しましょう。


合掌

南無阿弥陀仏

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