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うつ病の私は自分を語ることが怖い。それでも伝えたいことがある。

こんにちは、見知らぬ誰かさん。この記事を開いてくれてありがとうございます。
タイトルにあるように私には沢山の伝えたいことがあります。


まずは自己紹介をしましょうか。

自己紹介

20歳でうつ病と診断された現在24歳。 うつ病のまま大学へ通い、両親に連れ戻され、なんやかんやの果てに家出した。
ーーその先に待っていたのは生活保護。

うつ病の人、今がつらい人、それ以外の誰かさんへ贈ります。 あわよくば、私の人生が誰かの役に立てばいい。

私の人生の分岐点

小学5年生(11歳)

私は世にいう転勤族でした。広い北海道の大地を転々とし、小学校の母校は3校あります。
そしてその3校目でいじめに遭い、中学1年生までいじめられていました。
元々明るく、人に対して物怖じしない性格だった私の性格はそこで死にました。

中学2年生(14歳)

中学2年生でまた転校をし、いじめから逃れました。けれど、待っていたのは更なる地獄でした。
転校先は札幌。それも周りは医者の子供たちが通うような住宅街の中にある場所。それはもう偏差値がとんでもない場所でした。
そこで豹変したのは父でした。
私の成績を見ては怒り狂い、夕食時から日付が変わる時間まで怒られました。

高校1年生(16歳)

高校に入学して半年、文系か理系かの選択が迫られました。
当時の私は、文芸部(小説を書く部活)に入部するほど、圧倒的文系でした。
けれど私は理系を選びました。北海道には理系の大学が少なく、理系に行って家を出ることにしました。

高校2年生(17歳)

父に耐え切れず自殺未遂をして救急車で運ばれて生き延びました。

大学1年生(19歳)

札幌から離れた大学に入学し、一人暮らしをはじめました。これからの人生は自由だと思っていました。

大学3年生(21歳)

苦手な理系で数学に嚙みついて頑張っていましたが、必修の単位を落としました。その科目の教授と仲が悪かったのもあったのかもと少し思ってみたりしてます。
そこでまた父のトラウマが過り、自殺未遂をして救急車で運ばれてまた生き延びました。
神様はどうして私を死なせてくれないのかと恨みました。

大学4年生(22歳)

進級はできたものの、必修が不足して卒論が書けず、必修を再履修したものの落とし、絶望して長い文章を両親に送り付けたところ実家に戻され、休学することに。

大学4年生/3回目(24歳)

東京へ家出。
ーーそして生活保護へ

今後の方針

成人済みの家出や生活保護等の援助をメインに、私の人生の分岐点やその合間にあったこと、メンタルクリニックでの治療等をnoteに書いていきます。

おわりに

現在も私は自立するためにもがいています。多くの人に支えられて生きています。今の私がその方々にできるお礼は少ないので、同じ境遇の方に還元していければと思って書いていく予定です。

私の人生が誰か一人の役にでも立てば幸いです。

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