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喪失の喜び



諦めたり、別れたり、辞めたり、死んだりするのは悪いことでは無いと思う。
直接的な意味でも、メタファーであろうとも。

失ったり、手放したり、別離したり、自ら捨てた経験は誰しもあるだろうと思う。
もしかしたらそれによって大きな傷を負って、苦しむかもしれない。

ぼくにもそういった経験はあって、未だに深い傷として残っている記憶もある。

30代に入る頃にぼくは夢を捨てた。
絵を描くことが好きで、文章も好きで、中学生の頃からギターを弾いて歌ってきたので、自然とアーティストになることを目指していた。

大人になって風向きがあやしくなった。
これ以上好きに遊んでいるわけにはいかない、ちゃらちゃらするわけにもいかないと思って、何年も考えた末、それを諦めることにした。

夢を失ったら後悔が残るのか、それとも意外と清々するのかと恐れていたが、どちらも違った。
夢の続きはまだ終わっていなかった。
夢との接し方が変わっただけだった、そのときめきや煌めきは残したまま、ぼくは前を向いていた。

夢と親友になったのだ、
結婚したといっても良いかもしれない。

何かを選んだり切り捨てる作業はもちろん愉快なだけではないけれど、青春が終わって新たな将来がひらけた。

変なことを言うが、ぼくは喧嘩したり恋人と別れることが嫌いじゃ無い、ほんとうに変なことだけれど。

好きだったものを失ったり、自分の信念を人に対してエゴイスティックにぶつける作業は、人間にしかできないと思うからだ。

トラブルのあとには成長がつきものである。
ポジティブ過ぎるだろうか。
何かに縛られてからに篭り続けるよりも、戦える時は戦うのも良いと思う。

先ほど諦めた、とは述べたが、ぼくは今でも日常的に創作をしている。
それは痛みや、飢え渇き、苦しみと切り離せない行為だ、
人にもよるだろうが、悲しいこと痛いことを美しいものとして昇華出来るのが創作をする上での醍醐味でもある。

きっと何かが何かの為にあって、お互いにバランスをとって、補完しあっているのでは無いかとふと感じた。

そんな日曜の夕暮れである。

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