濡れた獣の眼
その眼だ、
と思う。
いつも裏切ってきた、
そういう眼の人を、何度も傷つけてきた。
手負いの濡れた獣のような、
大気に剥き出しになった繊細な瞳を曇らせるのは控えめな罪で。
いつだって後になって悔いていた。
甘えていたのはこっちの方で、
助けられていたのは自分だった。
中途半端な覚悟で人を助けようなんて思うものじゃない。
全て捧げるつもりで愛さなければいけなかったのも知っている。
そこはいつも居心地が良くて、陽だまりのような空間に甘えて依存していた。
あなたは自分のことしか考えていない、そう言われても言い訳すら浮かばなくて、
曖昧に笑って、ごめんねとかすまないとか下らない台詞を吐いて、
少し泣いて、それでも徐々に忘れていき、
たまに思い出して、また泣いて、
大したことないからいつのまにか本当に忘れて。
でもまたその眼をした人に出会って、惹かれて、感じるのは無限に繰り返される輪廻のような人間関係。
きっと先には失望や喪失が待っていて、それでも前に進んでしまう。それは見えている。
それを望んでいる自分がいて、言い訳も、生意気な理論武装も浅はかな計算も役に立たなくて、それが楽しくて、遊びじゃないのにふざけている。
そういうのって、
駄目だよね。
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