ライター時代。。。

こんにちは、ひのいりです。

さっきレベッカの曲が流れていたので、ちょっと昔ばなしをします。

ひのいりがフリーでライターやらコピーライターをやりながら、エロ雑誌で人生相談やったり、編プロでバンダイのボードゲームの新作紹介などをしていたのは、1980年~90年半ばくらいになります。

大昔ですね。若い人は知らないでしょうが、そのころ、地上では首長竜が跋扈し、親がちょっと目を離したすきに、ヴェロキラプトルに子どものひとりふたり、さらわれているなんてことがよくあったもんです。そのくらい昔ということですね。

そのころは雑誌の全盛期といってもいい時代で、当時既にメジャーな存在となっていたコンビニなどでも雑誌コーナーから雑誌があふれ、大きな書店でもすべての雑誌は置ききれないほど、雑誌の種類が多かったです。ちょうど自販機本が終わりを迎えようとしていた頃ですね。

ひのいりが当時お世話になっていたのは、サン出版という会社で、今はマガジンマガジン社となっています(もしかすると、法人的には微妙に違うのかもしれませんが、その辺はよくわからない)。

そこで主に二、三種類のエロ雑誌の企画物ページと読者コーナーを担当し、たまにヌードグラビアにリリックなネームを書いていた(下手だった)。

そのころ一緒に仕事をしていた人には、今大活躍中の方もいるので(このnoteに連載している方もいる)、具体的な名前は上げないが、とりわけM女史にはお世話になった。だから何年か前に彼女が亡くなったというニュースを聞いたときは、かなり落ち込んだ。当時、仕事がなくなったときに、新しい仕事を紹介してもらったりしていたのだ。しかも、それを活かすことができず、不甲斐ない思いがあった。ああ、穴があったら入りたい(杏寿郎)。

今ではコミュ障ということばがあって、ひのいりも自分はコミュ障だとえばっていえるのだが、当時はそんなものはなく、ノリが悪い人としか認識されなかった。エロ本業界はノリをブイブイいわせている業界だったのに、ノリが悪いひのいりはブイブイできずに、ただ居心地の悪さだけ感じていた。

後年、ひのいりの弟もこのサン出版(マガジンマガジン?)に闇落ちの漫画家としてお世話になるのだが(しかも息子と一緒に本社ビルに住んだりしていた!)、それはまた別の機会に。。。



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