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『飛び地のジム』第二部 11

11

 その山はグラン・ヘレナと呼ばれていた。
 そこはかつてこの地域一帯を支配していたアメリカ先住民の一部族の聖地だった。部族の長は代々このグラン・ヘレナに、巫女の家であるチリンガという建物を置いた。チリンガは平たい石板と木切れを組み合わせてつくる粗末な掘っ立て小屋で、そこで巫女は様々な占いを立てた。
 今から数百年も前のこと、このチリンガの巫女のひとりが、奇妙な託宣を受けた。
 コヨーテの脛骨で作った占盤は、煤でいぶされた古ぼけたものだったが、奇妙なひび割れで見るその相は巫女が今まで見たことのない不思議な形をしていた。
 巫女はそこに凶兆を読み取り、部族の長に告げた。
 数百年の後、この地は西の海を渡ってきた黄色い人間に支配される、と。
 部族の長はこれを一笑に付した。長にとって、数百年も後の世界など意味をもたなかったからだ。その巫女は(人心をまどわせた罪によって)すぐさま殺されたが、巫女が受け取った託宣自体は代々部族の民に伝えられることとなった。グラン・ヘレナという聖地の名によって――ヘレナというのがその不幸な巫女の名前だった。
 それから何百年か後に、日本のソニーがこのグラン・ヘレナ一帯の土地を買い占めた。ニューハリウッドの一員になって久しかったソニー・ピクチャーズが新たな撮影所を作るためだった。この撮影所はそれ以後約二十数年間、ソニーが映画資本から撤退するまで、数千本に及ぶ娯楽作品をこのグラン・ヘレナで作り上げた。
 ソニーが時代の趨勢に勝てず、グラン・ヘレナを見捨てた後、しばらくの間、ここはあるコミューンが使用していた。それはある種の終末論を信奉する狂信的な一派で、地下においては泣く子も黙るアサシン集団として恐れられていた。
 彼らによる世界解釈は不可思議なものだった。どうやら、彼らはイザール人とのファースト・コンタクトを世界の終末の先触れと考えていたらしかった。彼らによれば、イザール人は地球人にまぎれ、内部から社会を崩壊させようとしている悪魔の手先であり、それを援助しているのは、イザール星との友好関係を維拝しようとしている連邦政府であり、国連だった。
 彼らはグラン・ヘレナの既に使われなくなってから久しい撮影所をほぼ現状のまま利用した。即ち、廃れつつあった映画製作の技術をテロ活動における新しい戦術として組み込むことに成功したのだった。
 こうして彼らは今や全てを手に入れたかに見えた。
 しかし、しばらくすると、彼らはグラン・ヘレナを根城にするものには大切なものが一つ欠けていることに気づいた――巫女である。かつてのヘレナのような賢い巫女だ。
 そこで彼らはマクガイア博士を自分たちの巫女としてスカウトした。
 彼らはマクガイア博士に隠れ家を提供して、行動には干渉しない、といった。その代わり、マクガイア博士は自分たちのボディガードになってくれ、と頼んだのだ。
 これはマクガイア博士にとって、願ったり叶ったりの申し出だった。
 何といっても、ここにはありとあらゆるものがあった。広大な野外セット、廃車置場にうず高く積まれたスタントカー。それはかつてのアナログ時代の残像のようだった。ここなら博士は偽装工作に使う材料に苦労しなかった。何といっても、前世紀の遺物が腐るほどあるのだから。数十台が居並ぶ真紅のシヴォレー・コルベットの中からマクガイア博士の一台を探し出すのは、確かに至難の業だった。
 さらにマクガイア博士には確固たるポリシーがあった。
 そのポリシーは実に単純なものだった。つまり、マクガイア博士は誰も乗せないし、誰にも乗られたりはしない、ということだった。
 そういうわけで、マクガイア博士はほどなく巫女であることをやめてしまった――うさん臭い宗教団体のコミューンを一掃したところで文句をいう者は誰もいなかった。

 マクガイア博士に一行が捕まってから、すでに二日が経っていた。
 一行は四人の犠牲者を出していた。そのうちの三人はソルトレイクシティに向かっていた観光業者で、深夜に逃亡しようとした際、カボチャ畑に仕掛けられた地雷にあっけなくやられた。
 残る一人はあろうことか、マイケル・ヘッジズだった。カーステレオの恨みを買い、ブードゥの呪いをかけられたのが原因だった。
 ヘッジズは最初からマクガイア博士のカーステレオから流れる単調な音楽や不気味な呪文に我慢ならなかった。その点では、マクガイア博士と意見の一致を見たかもしれなかった。博士にしたら「ズン、チャ、ズン、チャ」というレゲエ特有のリズムには飽き飽きしていたし、中西部出身らしく、たまにはウィリー・ネルソンでも聞きたいと思っていたのかもしれない。
 しかし、マクガイア博士はヴードゥの恐ろしさを知っていたので、導師をいたずらに刺激するのを避ける知恵は持ち合わせていた。マクガイア博士の寄生体である導師は非常に気分屋であり、なおかつ少しボケてもいたので、博士にしても相棒の行動はなかなか予測できないところがあった。
「あいつはただの箱にすぎない」とヘッジズはいった。
「カーステレオだぞ。ガキの頃、手当たり次第に盗んだものだ」
 ヘッジズがうっかり忘れていたのは、ヘッジズが子どもの頃とは違って、カーステレオの持ち主が正常な世界に生きている正常な人間ではないということだった。
 ヘッジズがコルベットのカーステレオががなり立てる腹立たしい音楽を妨害するべくやったことは、かつての窃盗犯としてはいささか洗練さに欠けたものだった。彼は隙を見て、コルベットのアンテナをへし折ったのだ。
 烈火のごとく導師は怒った。ヘッジズは大いに喜んだが、もちろん、すぐに手痛いしっぺ返しを受けた――導師に呪いをかけられたのた。
「二四時間以内にお前は死ぬだろう。しかし、死んでもお前に安らぎはないだろう」導師はそういうと、カーステレオの中に閉じこもってしまった。
「世迷いごといいやがって」ヘッジズはそういったが、心なしか青ざめているようだった。
 二時間後にヘッジズは突然発症した。熱病の一種らしかった。体中に発疹が広がり、しきりに水を欲しがった。そのうち間欠的な痙攣に襲われるようになった。
 ジムは導師に呪いを解いてくれるよう頼んだが、導師はカーステレオの中にこもったままついぞ出てこなかった。
 次の日の夜明けを待たずに、ヘッジズは死んだ。高熱でうなされ、さんざん苦しんだ挙げ句のことだった。
 ジムはマクガイア博士の許可をもらい、ロバート・ジュニアと一緒に、撮影所の裏手に穴を掘り、ヘッジズを埋めた。
「信じられないわ」とベッキー・ジャービスがいった。
「似非(えせ)宗教の餌食になるとはね」
 似非宗教であろうがなかろうが――そして呪いがあろうがなかろうが、我々皆いずれ死ぬ運命にあるのではないか、とジムは思った。ここにいる限り。
 ジムは後方にそびえる山を見上げ、グラン・ヘレナの黒い影があたかも猶猛な獣が獲物を狙っているように見えることに気がついた。
 二日目の夜が来た。
 マクガイア博士が乗客たちを押し込んだのは、野外ロケ用のプラスチック・テントだった。それは雨露をしのぐのがやっというしろもので――一日目はそれすらなかったのだが―― 、今が夏でなかったら、到底使いものにはならなかったに違いない。
 乗客たちはそれに対して皆一様に抗議を申し立てたが(こんなところじゃ眠れるわけないだろう等々)、導師の不気味な声を聞いて、すぐに尻すぼみになった――ヘッジズの最期が頭をよぎったのだ。
 こうして彼らは、たったの六人となった。生き残りがロボットを入れてたった六名―― ボビー・ジュニア、ベッキー・ジャービス、十代のカップル、ニューヨーク行きのご婦人、それにジム――というのは、自然淘汰という生物学者の説を受け入れるにしても、あまりに分が悪かった。
 ロバート・ジュニアは早々とグループのガイド役であることを放棄していた。この頃にはジムにもボビーの抱えている憂鬱がかなり根が深いものであるということに気づいていた。
 今となっては、ヘッジズを失ったことが悲しかった。少なくともあの男の楽天主義は一同にとって、大きな慰めになっていた。こういうときに、陽気なヘッジズの声が聞けないのは、何よりも痛手だった。
 テントを張る際、マクガイア博士が、明日、彼らを移動させるつもりだと一同に告げた。どこへ、とはいわなかった。しかし、それをいうなら、一行を捕まえてから、マクガイア博士は彼らにほとんど何も説明らしきことはしてこなかった。
 ジムはマクガイア博士は何かを待っているのではないかという気がしていた。おそらくマクガイア博士は何らかの計画のために、今はそれを打って出る時機をうかがっているのだろう。それにしてもマクガイア博士は何を待っているのだろう、とジムは思った。
 マクガイア博士の行動は今まで人々からさんざん聞かされてきた殺人狂めいたマッド・サイエンティストというイメージとはいささか異なるようにジムには思われた。
 ジムの見るところ、マクガイア博士は何かひとつのものにとり憑かれた人間に特有な、一種のやみくもな行動に駆り立てられているように思えた。そして何かにとり憑かれている人間は大変危険だということを、ジムは“ボリスの声”での経験でよく知っていた――マクガイア博士が果して人間といえるかどうかという問題は別にして。
 ジムは若いカップルが物陰でこそこそと何かを話していることにも気づいていた。彼らもやはり何かにとり憑かれているように見えた。もしかすると、脱出計画を立てているのかもしれない。そこにあのニューヨーク行きのご婦人が加わっていることをジムは知った。
 ベッキーは――ベッキー・ジャービスは相変わらず謎だった。べッキーは常に一行と距離をおいているように見えた。まるでそうすることが自分という人間を守るために何よりも必要なのだというみたいに。その点ではベッキーはボビーとよく似ていたかもしれない。あるいはこういってよければ、自分にも。
 てんでばらばらの集団は危ういバランスを取りながら、それでも尚、破滅の道を一直線にひた走っているように思えた。
 マクガイア博士がロボットたち――旧式の奴隷型ですよ、とロバート・ジュニアは馬鹿にしたようにいった――に命じて引っ張りだしてきたテントは、目前にある灰色のスタジオに寄り添うように設営されていた。
 月明かりに照らされてできたテントの影はまるでスタジオから抜け出したように、荒れ地に向かって長く伸び、子ども向けのイラストでよく見かけるハロウィーンのお化けを思わせた。
 大騒ぎでテントに押し込まれてから、既に二時間が経っていた。昼間あれほど恐怖でいっぱいだった乗客たちが、今は皆死んだように眠っていた。
 軽やかな寝息に混じり、時折かなり大きないびきも聞こえてくる。みんな疲れているのだろう。もちろん、ロバート・ジュニアは違うだろうが――ソニーの恒常性ロボットは寝る必要がない。
 ジムはボビーから横になるよりも、立っている方が楽だということを聞いていた。しかし、ロバート・ジュニアは他の乗客たちと一緒に横になっていた。おそらく、彼は彼なりの必要性に迫られて寝るふりをしているだけなのだろう。
 ジムは周りを見渡し、立ち上がると、テントを出て、目の前に見えるスタジオの裏手の方にぶらぶら歩いてみた。敷地内での行動は最大限許されていた。だったら、自分たちが置かれている現況を知っておく必要がある。
 すぐに、ブーンという羽の音を響かせ、空中浮遊の小型監視ロボットが自分の後についてくる。ぼんやりとした桃色の光が一体、後ろに浮かんでいたが、ジムは放っておくことにした。
 VFXS―EH。スタジオの上部にはステンシル文字でそう記されていた。
 ということは、このスタジオはかつて特殊撮影や特殊効果に使われていたものということだ。
 それが意味することはそう難しくはない。つまり、ここには様々を偽装工作やデータ処理に使われる高性能のコンピュータが存在するということだ。
 耳を澄ますと、スタジオの中から絶えずブーンという低い唸りが聞こえているのがわかった。多分、コンピュータの排気熱を冷やすターフーの音に違いない。定期的にカチンカチンという金属音がそれに加わる。ここに博士が眠っているのを彼は知っていた。ハイテクで武装された撮影スタジオをマクガイア博士はガレージ代わりに使っているのた、とジムは皮肉に思った。
 もし、マクガイア博士が夢を見るとしたら、何を見るのだろう、とジムは思った。アルミホイールの出物か、スミス製計器の完全品でも発見する夢だろうか。そして考え直した。もちろん、マクガイア博士は眠ってはいないだろう。ここは決して眠ることはない――不眠不休で稼働する要塞なのだ。
 他には何も聞こえず、何も見えなかった。ここらでコヨーテの鳴き声でも聞こえてくれば、まさに核戦争の荒廃した廃墟跡だな、とジムは思った。
 スタジオの裏には古タイヤの山がいくつもできていた。多分、撮影用機器の緩衝材にするために使ったものだろう。その山の一つに腰掛けると、中に入っていた雨水がはねて流れ出し、地面にいびつな黒い地図を描いた。
 カスターは今、どうしているのだろうとジムは思った。自分が彼のいるところにまで行き着けるとは思えなかった――現状からすると、どう見ても無理だ。
 と、すぐ後ろで草を踏みしだく音が聞こえ、ジムははっとして振り返った。
 ベッキー・ジャービスだった。ベッキーの後ろにも一台の監視用ロボットがついているのにジムは気づいた。
「抜けがけってわけ?」ベッキーが声をひそめて、いった。
「まさか。眠れないんで、ちょっと散歩さ」
 ジムはそういうと、目を細めてベッキーを見た。
 きれいだった。ジムの好みよりは幾分細すぎるような気がしたが、月明かりを背景にしたその姿はひどく悩ましげで、場違いな場所に出現した淫蕩な魔女のように見えた。走ってきたのだろうか、べッキーの平たい胸はせわしく上下していた。
「この子たち、邪魔ね」
 ベッキーが二台の監視用ロボットを見上げ、顎をしゃくった。
「何もしやしないよ。この手のプログラムは単純なんだ。監視用ロボットは自分の監視対象が指定エリアを出ない限り、何の行動も起こさないようになってるんだ」
「詳しいのね」
 そういうと、ベッキーはジムの隣に腰掛けて、彼の手をとった。そのひんやりした感触に、ジムは思わずびくっと体を震わせた。
「マクガイア博士は私たちを殺すかしら」
「おそらくそのときが来たらね。でも、わからない。マクガイア博士は我々を利用しようとしてるんだ。それが何なのかはわからないけど」
「多分、人質ということなんでしょうね。わたしたちは銀行強盗の人質として使われるのよ。それとも政府を相手にゆする気なのかも」
「あるいはね」とジムはいったが、
 そのとき、ベッキーが唇を寄せてきたので、後の言葉はいわずじまいだった。
 ジムはベッキーの舌をまさぐり、ミントの香りがすると思った。
 べッキーは再びジムの手をとると、今度はそれを引き寄せ、自分の胸に当てた。
「ここじや、監視用ロボットに見られるでしょ? もしかすると、マクガイア博士が見るかもしれないわよ。あんたが見せたいっていうんなら、構わないけど」
 ふたりが入ったのは、スタジオの横に併設されていた衣装部屋だった。鍵が掛かっていたが、力を入れて引っ張るとすぐに外れた。プラスチック製の南京錠は経年変化でもろくなっており、少なくとも両手のある者なら、たやすく壊すことができた。
 それはひどくせわしない交わりだった。
 監視用ロボットは桃色の光を漂わせながら、仲良く衣装部屋の外で二人を待っていた。それはまるで淫売宿で順番待ちをしている間の抜けた客のようだった。
 衣装部屋の内部は暗く、当然ながらほこりっぽかった。そこには何百という衣装がハンガーに吊り下げられていたが、いわゆる衣装というのと少し趣が違っているのに、ジムはすぐ気がついた――もちろん、その衣装部屋が特殊撮影専門のスタジオの隣にあるのだということを思い起こしてみるべきなのだ。ここは奇怪な異星人、突然変異の半魚人、そしてB級ヒーローのコスチューム等が収めてある場所だった。
 うす暗がりの中で見るそれらは通常、薄気味悪く感じてしかるべきものだったが、ジムが感じたのは、むしろ逆で、ほのぼのとした心地よさだった――それは“ボリスの声”のスタッフたちを思い出させた。ビッグバードはいなかったが、パットのキャットウーマンはいた。ケンジがよく着ていたザ・フラッシュもいたが、ダークマンはいなかった。もちろん、そうだろう――ダークマンは彼だった。
「何を見てるの?」ベッキーがジムの下で低い声で聞いた。
「ヒーローたちさ」とジムはいった。それは彼がなりたくてもなれないものだった。
 ふたりは足を忍ばせてテントに戻った。
 テントの中は相変わらず静かで、寝息だけが聞こえていた。
 ジムは出たときと同じように、みんなを見回し、何も異状はないのを確認した。
 横になり、ジムは自分の心臓の音に耳をすました。左肩がずきずきした。ベッキーが行為のさいちゅうに噛んだのだ。
 闇の中、ジムはなかなか寝つけなかった。何かがひっかかっていた。
 あのとき、ベッキーは自分に何かいいたそうにしていた、とジムは思った。ベッキーに何を見ているのか尋ねられ、ヒーローだと答えたときに。
 ベッキーはジムとはちょうど反対側に当たる、入口から一番遠いところに寝ていた。ジムは眠れないまま寝返りを打つと、薄目を開け、べッキーの方をそっと盗み見た。
 ベッキーは眠ってなどいなかった。
 うす暗がりの中、眠っているはずのジムをじっと見つめていた。

 深夜のスタジオで、突如、カーステレオがつぶやくようにいった。
「三人が逃げたぞ、博士」
「だれとだれだ?」
「あのイカレたカップルと中年女だ」
 マクガイア博士はブルブルとエンジン音を響かせた。
「まだ三人いる。いや、二人か。あのロボットは勘定に入れておくべきじゃないな。人間ではないのだから」
「あんたが捕まえたあの中年女は性悪だぞ」とカーステレオがいった。
「あいつは前にここにいた連中の一人だ。知っていたか?」
「ああ」マクガイア博士は物憂げに返事をした。
「彼女は爆発物を仕掛けた。復讐するつもりだ。ここを爆破するつもりなんだ」
「導師、眠らせてくれ。わたしの脳には十分を睡眠が必要なんだ。あんたのような心霊体とは違う。あの女の仕掛けたものは明日の午後にならんと、作動せんよ。その頃には既に我々はここにいない」
「あんたはわからんな、博士」カーステレオが感慨深そうにいった。
 そら、そうだろうな、とマクガイア博士は思った。どだい、あんたとわたしとでは頭の出来が違うんだ。感情にかられて、やたら呪いをかけまくるあんたとはな。
「導師、眠ろう。でっかいウサギの夢でも見てくれ」
 マクガイア博士はそういうと、導師の抗議を待つことなく、カーステレオをスイッチを切った。
 スタジオは再びコンピュータの冷却装置が立てるブーンという低い唸り声と、飽きることなくくり返す継電器のカチッカチッという単調な音に戻った。しばらくの問は――それはマクガイア博士がカーステレオに邪魔されず計画を検討するための、ほんのちょっとした間にすぎなかったが、しかし、博士にはそれで十分だった。
 マクガイア博士は前日、グラン・ヘレナの頂上付近に設けてあったアンテナで一つの興味深い交信を傍受していた。そのアンテナはヘッジズのへし折ったバー・アンテナとは異なり、ちゃんとしたパラボラ型だった。
 傍受したのも、導師がひいきにしている地元局の中南米音楽ではなく、隣の州のある医療施設とスイスにある国連オフィスとの間に交わされたものだった。
 それは彼が長年待っていた情報だった。わざわざこのアジトをテロリストたちの手から取り上げたのも、実はそのためだった。ここの以前の持ち主たちはやはり思い違いをしていたのだ。グラン・ヘレナこそが今も昔も我々の偉大なる巫女なのだ。
 マクガイア博士はその医療施設の長であるブルンヴァン博士を知っていた。この二人の博士はかつて一時期、医者と患者の関係だったことがある。まだ彼が人間の姿をしていた頃のことで、もちろん、マクガイア博士が患者だった。しかし、博士が気にかけていたのは、そのブルンヴァンではなかった。その会話に出てきたもう一人の患者――クラーク・ハマーシュタインだった。
 マクガイア博士は長年、ハマーシュタインがボディガードと国連から派遣されたエージェントによって厳重に護られているのを苦々しい思いで遠くから眺めてきた。
 そこにはマクガイア博士が付け入る隙は全くなかった。シヴォレー・コルベットの派手な姿は都会では危険すぎたし、それにその頃既にマクガイア博士は隠密行動をとろにはあまりに有名になりすぎていた――もちろん、犯罪者としてだが。
 そういうわけで、ほどなくマクガイア博士はブルンヴァン精神病院に目をつけることになった。月に一度のカウンセリングのため、お忍びでやってくるハマーシュタインの来訪時が、身辺警備が最も手薄になるときだと気づいたからだ。
 グラン・ヘレナに巣くうダニども(博士いわく)を一掃した後、マクガイア博士は密かにブルンヴァン博士と外部の通話をうかがってきた。その結果、二カ月ほど前からハマーシュタインの調子が坂を転げるように悪くなってきていることを知った。
 ブルンヴァン博士に向かって、だらだらと泣き言を並べ立てるハマーシュタインのしゃがれた声を聞きながら、この分ではこの男の入院もそれほど遠いことではあるまい、とマクガイア博士は睨んだ。
 そしてそのときから、マクガイア博士はこの計画を検討し始めたのだ。
 マクガイア博士がブルンヴァン精神病院に乗りつけるためには、もちろん、何らかの工夫が必要だった。クリニックの正門の守衛ロボットにしても、無人のコルベットでは、まさかにっこり笑って通り抜けさせてはくれることはないだろう。
 人が必要だった。それも死人や人形ではなく、マクガイア博士のコルベットをあたかも自分が運転しているように見せかけ、なおかつ、ブルンヴァンの目を盗み、病室からハマーシュタインを博士の手の届く範囲に連れ出すことのできる人間だ――それはもちろん、生きた人間に違いない。
 マクガイア博士はここひと月ほどの間、そのときのためにと、常に何人かの人間を捕獲し、用意してきた――残念なことに、彼らが実際に使われることはなく、それ故一様に殺されてはいたが。
 おそらくFBIや州警察がマクガイア博士の犠牲者となった者の過去を丹念にたどっていったとしたなら、あるいはマクガイア博士の殺戮行為の裏に、一本の太い糸があるのに気づいたかもしれない。
 しかし、現実には誰も気づかなかったし、そこが重要なところだった。結局、誰もマクガイア博士の狙いに気づかなかったということが。
 この点では、マクガイア博士自身、自分はいい仕事をしてきた、と自負しているかもしれない。なぜなら、博士はいつも目当ての人物と行きずりの被害者とをうまく織り交ぜることに注力してきたからだ――マクガイア博士は狂っていたかもしれないが、少なくとも所期の目的を忘れることはなかった。
 マクガイア博士がその移植された脳に刻みつけた抹消者のリストは、実に百十数人に上った。それは生まれてからこの方、彼を虐げ、退けて憎むべき者たちの記憶だった。
 彼はそれを頭の中で古いテープレコーダーのように何度も再生し、すりきれたテープの不鮮明な映像から昔の怒りまでも蘇らせた。
 そしてそのリストに基づいて、一人ひとりを消していった。
 マーフィーズ・ストアの元店主ステファン・マーフィは闇煙草を買いに行った帰り、近道に使っていた公園に足を踏み入れようとした瞬間を仕留められた。マーフィは当時、政府の老人ホームに入っていた。肺がんを宣告され、余命半年の診断だった。女癖は相変わらず悪かったが、幸いなことに、体の方はとうにいうことをきかなくなっていた。
 おそらくマーフィは自分に何が起こったかを知らないまま死んでいったろう。背後から聞こえてくる腹に響く野太いエンジン音くらいは聞いていたかもしれない。マクガイア博士はマーフィを前後で三回、左右で二回、念には念を入れて轢いてやった。特注のタイヤの下で骨が砕け、肉が裂けるのをマクガイア博士は感じた。カーステレオは高らかに戦いの歌をがなり、歓喜に酔いしれた。
 そうして頭の中のリストから一人消していくたび、チビで弱虫の自分は消えてゆき、新しい自我である機械人間ラルフ・マクガイアが大きくなっていくのを博士は感じた。
 そして二日前、ついにマクガイア博士はリストの最後の一人、ハマーシュタインがブルンヴァン博士の元に運び込まれたことを知ったのだ。
 ハマーシュタインはとうに忘れているだろうが、マクガイア博士はその昔、自分がラルフ・“ボーイ”と呼ばれていたときのことをはっきり覚えていた。
 マクガイア博士は自分に加えられた侮辱は決して忘れはしなかった――かつて地下鉄構内でトンチキのルティが幼い自分にした仕打ちを決して忘れはしなかった。
 今にして思えば、全てがこのときのために用意されてきたのだ、という気がしてくる。もちろん、ルディ・テイラーの息の根を止めるために、だ。
 クラーク・ハマーシュタインこそが、そのエルドン・テイラー――かのルディであり、ラルフ・“ボーイ”
が遠い昔に絶縁状を叩きつけた世界の最後の生き残りだった。
 問題はルデイが自分の正体を忘れていることだったが、マクガイア博士はハマーシュタインに自分が誰かをちゃんと思い出させてやるつもりだった。
 ハマーシュタインが自分が殺される理由を知ることなく、あの世に行くことはないだろう、とマクガイア博士は思った。
 幼いラルフは半世紀余りの時をかけ、ついにあのトンチキのルディを見つけたのだった。

 マクガイア博士はいった。
「ここから五〇〇マイルほど離れたところに病院がある。頭が狂った連中が入る病院だ。ブルンヴァン精神病院というところだ。わたしはそこに行く。その病院の入院患者に用があるのだ」
 ジムはどきっとした。マクガイア博士がカスターと面識があるとは思えなかったが、今は何が起こってもおかしくない、と思った。
 ジムは一時間ほど前、ロバート・ジュニアに起こされ、あの若いカップルとニューヨーク行きのご婦人――結局、最後まで名前はわからなかった。彼女は名乗らなかったし、そこに注意がいかないよう、十分、気をつけていた。彼女はその点ではプロだった――が、ここから逃亡したことを聞いた。
「わたしも手助けしたんです。とにかく彼らは撮影所から無事出ました。ただ、それからのことはわかりませんが。行けるところまで行ってみるつもりなんでしょう」とロバート・ジュニアはいった。
「ぼくらにひと言もなしに?」
「誰かが残らなくてはならないんです。マクガイア博士の計画を実行するために。ここはあと三時間ほどで爆破されますから。あのご婦人が爆弾を仕掛けたんですよ」
「わからないな」ジムは正直にいった。
「マクガイア博士によれば、彼女はかつてここにいた宗教コミューンの残党だそうです。きっと復讐したかったんでしょう。マクガイア博士は彼らをたくさん殺したんです。バスの座標をいじったのは彼女ですよ。彼女はわざとバスをマクガイア博士に捕まるようにしていたんです」
「つまり、あの女はわたしたちをご親切にもライオンの口の先まで運んでくれたってことね。全くありがたいじゃない」とベッキーがいった。
「でも、問題は――」とロバート・ジュニアはいった。
「マクガイア博士がこれら全てのことを知ってるってことですよ。マクガイア博士は何もかも知っているんです」
 ジムはそのとき、自分の手にベッキー・ジャービスのひんやりした手が重ねられているのに気づいた。
 何もかも知っているか、とジムは思った。おそらくこの中で何も知らないのは自分だけなんだろう、とジムは思った。眠ったまま一向に目覚めようとしなかったせいだ。目をつむったまま、一度も開こうとしなかったせいだ。もういい加減、目を見開いてみたらどうなんだ、ジム、と彼は自分に向かっていった。
 ロバート・ジュニアがふたりを見つめていた。何かいいたそうにしていたが、いいかけてやめた。このソニー製ロボットは感情表現に関しては、まことに人間顔負けのことをやってのけた。
 そのとき、低いエンジン音を響かせて、マクガイア博士がやってきた。マクガイア博士はあたかもどこかの王族が乗る専用車のように、ゆるやかな弧を描いてターンすると、三人の目の前で優雅に止まるという芸当をやってのけた。
 実にマクガイア博士はこの計画に当たって、自分の車体の色まで変えていた。淡いクリーム色だ。人目を引かず、見る人に脅威を与えることのないパステルカラー。それはおそらく、誰も乗せないし、誰にも乗られたりしないことをモットーにしているマクガイア博士にとっては、大変屈辱的な行為だったろう。しかし、マクガイア博士は賢明にも自制していた。
 マクガイア博士は三人に向かって、なだめるようにいった。
「それほど長い旅にはなるまい。わたしは非常によくできたクルマだからな。きっと本革製のシートに座るのは初めてだろう。ミンクオイルをたっぷり含んだ子牛の革を使っている。上等のものだ」
 マクガイア博士はそういうと、コルベットの二枚の分厚いドアを開いた。確かに博士のいう通り、上等のものなのだろう。革の放ついい匂いがプンとした。
 最初にベッキーが乗り込んだ。
 次にジムが乗り、ロバート・ジュニアがしんがりを務め、運転席に着く手はずだった。しかし、ジムが乗り込もうとしたまさにその瞬間、不意に背後で力強い声が響いた。
「待ってくれ」
 三人はその場で凍りついた。
 それはマクガイア博士ではなかった。もちろん、導師でもありえない。彼らは自分たちの目の前にいるし、その声は確かに自分たちの背後から聞こえてきたのだ。そして、問題はそのしわがれた声にこちらが聞き覚えがあるということだった。
「待ってくれ。おれを置いていかないでくれ」
 三人はゆっくり振り向いた。ヘッジズだった。
 ベッキーが鋭い悲鳴を上げた。
 死んだはずのマイケル・ヘッジズがそこに立っていた。衣服はあちこちが破れ、そこから土で汚れた青白い肌がのぞいていた。全身はすっぽり黒い土にまみれていて、やけに黄色く見える二つの目だけが不自然なほどらんらんと輝いていた。
「死んでなかったのか?」ジムは背筋が凍るような思いで尋ねた。我々はヘッジズを生きたまま、地中に埋めてしまったのか。
「いや、死んでたよ」ヘッジズは苦々しげにいった。
「じゃあ、ヘッジズさん、あんたは――」
「もちろん、幽霊じゃない。おれは蘇ったんだ。あんたらは随分穴を深く掘ったんだな。出くるのに苦労した。爪がほとんどダメになっちまった」
 ヘッジズはそういうと、両手を差し出し、土で真っ黒になり、ところどころいびつに欠けた爪をこちらに向けて、広げて見せた。
「おれは、くそ、おそらくホラー作家のいうゾンビというやつになっちまったんだろう。ブードゥの秘儀だ。この導師が呪いをかけやがったんで、死ねないのさ」
 ヘッジズはいまいましそうにコルベットのカーステレオを指さした。
「復活だ」とカーステレオはいった。
「わたしは魔法の粉を使わずして死者を蘇らせることのできる唯一の宗教家なのだ。お前はあと数時間すると猛烈な空腹を感じるだろう。それを癒すことのできるのは人肉のみに違いない。呪われたる者よ」
「くそ。あんたを呪ってやるぞ、導師」ヘッジズが情けない声でいった。
 そのとき、マクガイア博士が落ちついた声でいった。
「四人は乗れん」
 不意に現実が戻ってきたようだった。マクガイア博士はその事実が一行の頭にしみ込むのを待って、もう一度いった。
「四人は乗れん。三人までだ」
 元々シヴォレー・コルベットはスポーツカーであり、2シーターだった。定員は二名だ。ちょっと窮屈なのを我慢すれば三人は乗れる。しかし、四人は無理だった。
「三人で構わんさ」ヘッジズはそういうと、ベッキーに向かっていった。
「もちろん、あんたが降りるんだ。魔女め」
「なに、いってんのよ」ベッキーが憤然として、ヘッジズをにらみつけた。
「おれは死んで蘇ったんだ。そのとき、ちょっとしたサイオニックの能力も授かったらしい。あんたの正体を知ってるぞ、べッキー。それを今ここでばらされたくなかったら、あんたはそこから降りるんだ。わたしがあんたの代わりに乗る」
「気違い沙汰だわ」とベッキー。
 確かにだれが見てもそうだ、とジムは思った。
 そのとき、ロバート・ジュニアが割って入った。
「ミス・ジャービスをここに残せば、彼女は死ぬことになりますよ。ここには爆弾が仕掛けられているんです」
「心配いらんよ、ボビー」とヘッジズはいった。
「ベッキーは逃げようと思ったら、いつだって逃げられたはずなんだ。彼女はプロだからな。きっと監視用ロボットを無効にするちょっとしたおもちゃだって持っているに違いないさ。そのバッグを開けてみろよ」
 ベッキー・ジャービスはジムに向かって、いった。
「なにかいってくれないの? こんな死に損ないの化け物にいわせとくだけいわせといていいってわけ?  あんたはそんな腰抜けなの?」
「きみは誰なんだ」とジムはいった。そして間かなくてもわかる、と思った。
「そういうことなのね」
 べッキーはそういうと、コルベットからさっと降りた。すらりとした優雅な豹のように、女コンバットのように。それは見事に訓練された者だけが獲得できる無駄のない動きだった。そして心持ち足を開いて地面にすっくと立つと、両手を腰に当て、一行をにらみつけた。
 一瞬にして、ジムはベッキーの様子が変わったのを知った。これまでの理に勝ちすぎた女子学生という仮面を脱ぎ捨てると、そこにあるのはまさに冷徹な女テロリストだった。ウッドペッカーという言葉がすぐにジムの頭に浮かんだ。彼女は殺し屋だ。
「きっと、追いついてみせるわ」ベッキーはいった。
「無理さ。それにもう二度とおれたちの前に姿を見せるな」とヘッジズがいった。
「これは警告だ。もし今度おれがあんたを見たら、そのときは――」
 そういうと、ヘッジズは大きな口を開けた。そして巨大で真っ暗な穴蔵のような口を指さし、
「お嬢さん、おれば今や人肉喰らいなんだぜ」

 マクガイア博士が走りだしてしばらくしてから、ヘッジズがいった。
「あんたを喰ったりはしないよ、ジム」
「え?」
「あんたを喰ったりはしない。約束する。おれのなけなしの人間性に賭けて誓う」
「そんなことは心配しちゃいないよ」
「あんたを喰うつもりはない。しかし、あの女ならわからん。ゾンビが人喰いの欲求に駆られたら、何をしでかすかわからないんだ。もし、そんな場面に出くわしたら、構うことはない、おれを殺してくれ。いや、おれは既に死んでるのか。じゃあ、焼いてくれ。蘇らないようにな。灰にするんだ」
 しばらくヘッジズは黙っていた。もちろん、ジムも。彼には考えることがいろいろあった。
 マクガイア博士は曲がりくねった山道を下界に向け、快調に飛ばしていた。
 ジムは流れ去る景色を眺め、自分たちが今までどんなところにいたのかを知って、ぞっとした。それはまさに古いホラー映画をほうふつとさせる光景だった。
 グラン・ヘレナは名もない雑草に覆われた荒れ地が広がり、ひび割れた赤褐色の痩せた土に覆われた醜い土地だった。ところどころにぽっかり垣間見える大地の裂け目は深く、そこから瘴気のようなものがゆらゆらと立ちのぼっていた。
 巫女の正体は化け物だった。時が無残にも聖なる巫女ヘレナを醜く年老いた魔女に変えてしまったのだ。
 不意にヘッジズがいった。
「なあ、あんただって、薄々感じていたんじゃないのか」
「え?」
「ベッキー・ジャービスさ。ベッキーはあんたの母親を殺したビリー・アルムだ」
「よくわかったね」
「サイオニックな勘てやつさ。何でも見えちまうんだ。つまり、あんたは自分の異母妹と寝たことになる」
 ジムはそっとためいきをついた。
「多分、そういうことになるだろうね」
「もちろん、あんたを責めてるわけじゃない。今のおれにはモラルをああだこうだいうことはできんからな。人肉を喰らうゾンビごときに一体、何がいえる?」
 ロバート・ジュニアがいった。
「あるアメリカの詩人がこういっています。

 そこを飛びゆくものは
 鳥 時間 そして熊蜂
 これら悲歌を持たないもの

 そこにとどまるものは
 悲しみ 山 そして永遠
 これらとて私を必要としない

 あの限りがあり復活があるところ
 私にどうして天が説明できるだろう
 謎はなんと静かに横たわっていることか

 エミリー・ティキンソンの詩ですよ」
「謎とは自己憐憫の手っとり早い解決法にすぎない。誰の引用かわかるか」ヘッジズがいった。
「いいえ」とジュニア。
「おれさ」
 そういうと、ヘッジズは口を一文字に結び、前方を見つめた。
 グラン・ヘレナを下りる途中で一行は三人の遺体を発見していた。あの逃亡したカップルと中年の婦人のものだった。
 そこはグラン・ヘレナの一番ふもとに当たる場所だった。彼らはほんのあと一歩で自由の身になるところを背後から追いかけてきた逃れられない運命に捕まってしまったのだ。
彼らは地雷にやられたのではなかった。何か小さな金属製の虫のようなものが、数十匹彼らの遺体に群がっていた。
「前世紀に使われた対人用の兵器ですよ」とロバート・ジュニアはいった。
「仕込み針が武器なんです。ふぐから抽出した毒を使ってね。即効性です。多分、彼らはそれほど苦しまなかったと思いますよ」
 遠くに既に見捨てられたドラッグストアの残骸が一つ、今にも崩れ落ちそうな姿で立っていた。その軒先にはペプシと書かれた剥がれかかったポスターが一枚、風に吹かれて、もどかしげに揺れていた。
 まるで映画のようだ、とジムは思った。ビル・ホークナーのちんけな二流映画にこそ似つかわしい光景じゃないか。
 そう思って、ジムは突然、自分がこの景色を見知っていることに気づいて愕然とした。これは作り物だ。黙示録的な光景の壮大なパロディだ。ジムの知るかぎり、ここはウィリアム・ホークナーの作品のセットだった。少なくともそれに瓜二つだった。ジーナが生きてここにいれば、きっとどの作品に使われたのか即座に言い当てられるに違いない。
 我々はホークナー的世界に生きているんだ。文字通り。
 やがて夜が来た。
 突如、頭上にヘリコプターの爆音が響いた。
 マクガイア博士は速度を緩めると、後部トランクのカバーが開き、触手のようなアンテナを空に向けた。
「州警察だ」とマクガイア博士がいった。
 そしてしばらくして、こう付け加えた。
「あいつらは、ちくしょう、わたしを捕まえようとしている」
 ベッキーだ、とジムは即座に思った。彼女が知らせたに違いない。追いつけないと知って、我々を足止めしようとしているんだ。
「見てください」ロバート・ジュニアが前方の明かりを指して、いった。
 州警察はマクガイア博士のこれ以上の前進を阻止するよう、道を封鎖し、バリケードを張っていた。おそらくここからは先は一歩も通さないつもりなのだろう。
「心配するな。このクルマはブードゥの神によって護られているのた。なあ、導師」マクガイア博士がいった。
「あんたはわたしを軽々しく扱いすぎる」カーステレオが不満そうにいった。「ブードゥは便利なお守りじゃないんだ」
 その途端、ジムはマクガイア博士が何かの上に乗り上げたのを感じた。
 やられた、とジムは思った。あのバリケードは見せかけにすぎない。本当のわなはそれより遥か以前からここにあったのだ。
 マクガイア博士が乗り上げたのは、偽装したパワーショベルの先端部分だった。ショベルには薄い合金製の板がくっつけられ、コンクリート色に塗られていた。おそらく、それを計画した者は、マクガイア博士がその板に載ったところで、ショベル部分を素早く持ち上げ、鈍重な陸亀を捕まえるときのように、ひっくり返すつもりだったのだろう。
 しかし、マクガイア博士は陸亀ではなかったし、鈍重でもなかった。マクガイア博士は仮にも前世紀には無敵を誇ったスポーツカーだった。
 マクガイア博士は一瞬早くそのわなを通り抜けていた。ただ、上昇を始めていた板はマクガイア博士の車体コントロールを幾分か失わせることになった。
 マクガイア博士はコースを踏み外した。そして悲鳴のようにタイヤを鳴らしながら、路肩の外に出ると、思い切り急ブレーキをかけた。土ぼこりが派手に舞った。
「出ろ」とマクガイア博士は叫んだ。「あの虫けらどもを殺してやる」
 三人は弾かれたように、コルベットから飛び出した。
 それとほとんど同時だったに違いない。上空のヘリコプターから州警察のロボットたちがばらばらと降ってきた。
 彼らは一様にレーザーガンを手にしていた。そして彼らを蹴散らそうと、方向を変え、加速してきたマクガイア博士に向かって、それらを一斉に放った。
 四方八方から放たれた赤い光の筋がコルベットのボディを貫いた。
 おそらく、そのうちのひとつがコルベットのボンネットに収められたマクガイア博士の人間の部分を貫いたのであろう。
 まるで人間が銃で撃たれたときのように、マクガイア博士のボディが跳ね上がった。しかし、マクガイア博士はまだ十分走れるように見えた。ボディは穴だらけであったが、四本のタイヤは無傷だったし、オイルも漏れてはいなかった。エンジンもまだまだ大丈夫だろう。マクガイア博士は今まで不死身で知られてきたし、本人もそう自負してきたはずだ。
 しかし、マクガイア博士は耳をつんざくようなバックファイヤを一回派手に起こすと、ブスンブスンという情けない音と共に、道路の真ん中で止まってしまった。それは数時間前、三人の目の前で――メンバーは今とは幾分違っていたが――見せたような優雅な止まり方とはおよそ違っていた。
 あっけない幕切れだった。
「くそ、くそ、くそくそくそ」マクガイア博士は壊れたテープレコーダーのように、がなりたてた。
 多分、マクガイア博士がまだ人間の身体を持っていたのなら、両のこぶしを思い切りステアリングに叩きつけたかったに違いない。それはロバート・ジュニアの父親であり、持ち主であったロバート・ウィルソンがよくやっていたことだった。
「ルディ、貴様を殺してやるぞ」マクガイア博士は叫んだ。
「貴様のチンポコを切り取ってやる。悪いことができないように、ぼくをいじめられないように、ぼくを傷つけないように――」
 ヘッドライトが消えた。
 次の瞬間、いきなりエンジンの回転数が上がった。ヘッドライトが再び点灯し、一瞬、爆発したかのよ
うなまばゆい光を発した。しかし、それはほんの一瞬にすぎなかった。ヘッドライトはすぐにその明るさを急激に失い、最後には物憂げな赤っぽい光点だけになった。やがてそれも消えてしまった。
 不意にカーステレオが古いロックンロールを流し始めた。地元のラジオ局なのだろう。イカれたディスクジョッキーの声が辺りに響いた。
「やあ、スパイダー・ジョーだ。今夜のトップナンバーはテッド・ジョンソン。ヤクで二週間ばかりブタ箱には入っていたが、先週、戻ってきたそうだ。テッドはブタ箱でポリ公にオカマを掘られたんだと。訴えるってさ。大いにやってくれ、テッド」
 おそらく、導師の断末魔なのだろう、とジムは思った。それともブードゥの最後の魔術が地元のラジオ局を呼び寄せたのだろうか。
 そしてエンジンが止まった。
 その後、車体の内部で何かがスーッという音と共に抜けていくのがわかった。あるいはそれは導師の魂かもしれなかった。最後の最後に、導師は自分の命を託す何か別のものでも見つけたのかもしれない。
 後には穴だらけのコルベットの残骸だけが残っていた。
 マクガイア博士を囲むように、円陣を組んでいた警察ロボットがおそるおそるマクガイア博士に近づいてきた。彼らはレーザーガンの代わりに、警棒のようなものを手にし、マクガイア博士の穴だらけのボディを憑かれたようにボコボコと叩きはじめた。それはまるで原始人が一頭のマンモスを仕留めたら、そうしたであろう不思議な光景だった。そこでは機械が機械を憎んでいた。ロバート・ジュニアが目を背けた。
 もし、ジーナ・シモンズがここにいたら、おそらくそれは自明の理だといっただろう。彼女はかつてワシントンパーク動物園でロボットの階級社会の説きをつぶさに見てきたのだから。
「行こう」とヘッジズがいった。
「ロボットたちが来る前に。おれたちに気がつく前に。マクガイア博士は――あいつらは元々狂ってたんだ」
「ほかにしようがありませんよ」ロバート・ジュニアがジムに向かっていった。
「どこかでクルマを奪おう」とヘッジズがいった。それとうまくしたら、活きのいい人間を何人か、と心の中で思った。
 三人はのろのろと歩きだした。
 それは誰が見てもおかしな組み合わせだった。
 引用好きのうつ病のロボットと、人喰いゾンビの組立式クローゼットのセールスマンと、母を失い異母妹と寝る、モラルのない傷心の映話カウンセラーというのは。
 どこかで鳥が鳴いた。森の方角だった。フクロウだろうか。絶滅してもう随分になるはずだったが。あるいはキツツキかもしれない、とジムは思った。
 ブルンヴァン精神病院はもう目と鼻の先だった。

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