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火乃絵のロクジュウゴ航海日誌〈scrap log〉 第二百十三日 7/30

ケモノみたいな昏いこゝろで、不分明なうすくらがりのような場処でせいかつしていた、たぶん意志とかチカラとかとはとおいところで、夢のような所作をくりかえしていた、洗濯をした、皿を洗った、食パン一斤ぶんのフレンチ・トーストをつくった、シャワーを浴びて、髯を剃って、ドライヤーでかわかして、髪のケアをした、どれもよく覚えていない、花の茎いぢりもした、尾丸ポルカさんの朝活配信のアーカイヴを視聴して、よるの月一ライブを聴いている、じつはこうしてリアル・タイムでどっぷりつかるのはひさしぶりなのだ、ここまでブンジツのあかりが昏くならなくてはならなかった、活動をつづけるということ、こうしていつでも帰ることのできる居場所をひらいていてくれる、ねがわくば火乃絵のロクジュウゴ航海日誌もそんな風でありたい、未ざらし紙のノートをひらくひのえにとっても、noteをとおしてこれを読んでいるあなたにとっても、待っていたらイヤでもやってくる明日のようではなく、こうして一字一字刻みながら手都可(てづか)ら編み上げる今を、またやってるな、相変わらずだな、半年でも一年でも見ないでいても、ふとまた覗くとつづいている、その地下水脈はいつでもわたしたちの下にながれていたのだ、雲の形態や、西日の差すかんじや、光と影と風のひとくさり、たぶんそういうものをとおしてかんじていたのだ、出遇いはそうして長くつづく、———

しばらく辻がかえってきていない、どのくらいかよくわからない、ここはサンオウ、ロクジュウゴ文化祭実行委員会の活動拠点、たといたれもこなくとも火乃絵はここで待ち続ける、呼び声は発した、太宰治さんは待つより待たせる方がツライという、かつてひのえはブンジツの仲間たちを半年ほど待たせたことがあるからよくわかる、そしてロクジュウゴはあれから8年待っていてくれた、だから火乃絵もここでこうして待ち続ける、いまこうやってこれを記している押入はコックピットだ、この壁の向うに火乃絵はいつも遙かとおくの文化祭を夢みている、でもその夢はひのえという個のヴィジョンではない、いつでもこれをくつがえしてほしいとおもう、文化祭はみんなの手でつくるものだ、それでもやっぱりあまたの夢を見ずにはいられない、たしかに見えているものをいまはまだ語るときではない、ボブ・ディランは〝俺の夢が知れたら、きっとギロチン刑だ、けれどそれこそイノチじゃないか〟と歌った、夢を見るのは自由だ、ひとはどんな夢でも見ることができる、たといどれほどの年月を経ようとも、もしこんな人間あたりまえのじじつが危険思想とされるなら、その時代こそおそろしいものと考えなければならない、なにも革命というのではない、火乃絵はそんなもの信じていない、世界を変えることなどできない、ただてめえだたけは——そしてだいじなのはもしほんとうにじぶんを変えることができればその瞬間におまえの世界も変わっているということ、なによりそれを毎日毎秒つづけていくことだ、終わりはなくたえずおまえの始めるはじまりだけがある、遅くはない早くはない、何度でも何度でも始めたらそれがおまえのはじまり、宇宙のはじまりになる。———子供のとき、わたしたちはそんなこといわれないでも毎日がそうだった、まずはじめに言葉があった、

こだまでせうか
           金子みすゞ

「遊ばう」つていふと
「遊ばう」つていふ。

「馬鹿」つていふと
「馬鹿」つていふ。

「もう遊ばない」つていふと
「遊ばない」つていふ。

さうして、あとで
さみしくなつて、

「ごめんね」つていふと
「ごめんね」つていふ。

こだまでせうか、
いいえ、誰でも。

もう達成も人生も完結もやめよう、いまおまえになにができる、なんにもしなくていい、そこにいるだけでいい、たとい牢獄でも押入でもたれもやってこない家だとしても、そこでおまえは夢をみる、文化祭はどこでもひらかれている、入口はない、いやそう想えばそこが入口になる、入口は出口だ、おまえひとりのため万象へと通じるための、

いつでもここから出て行くことはできる、そうと望めば痛みもなしに、理由のいるひとは残ればいい、けれどそれを死とはきちがえるな。人間は死なない、いうのはかんたんだが、どうしてそれを示せばいい、示さなくてもいい、ただ美がなければそれはうそだ、そこに痛みがなければその美はまがいだ、

 〝Behind every beautiful thing there’s been some kind of pain〟
 (すべて美しいもののおくには或る痛みがある、)
     ——「Not Dark Yet」Bob Dylan

そしてひのえはそれが触われるものであってほしい、決して触れてはならない、触れることのできない、その、かんしょく。わたしたちはそれをしばしば〝生きている実感〟といったりする、実感ナシに生きることはたえず死につづけることだ、

 〝he not busy being born is busy dying〟
 (生まれることに必死でない奴ぁ、死ぬのに忙しい)

            ✳︎

Its’s Alright, Ma (I’m Only Bleeding)
Bob Dylan

Darkness at the break of noon
Shadows even silver spoon
The handmade blade, thr child’s balloon
Eclipses both sun and moon
To understand you know too soon
There is no sense in trying

(真昼が割れて差し込む闇が
銀のスプーンも黒く被う
手作りの剣、子供のバルーン
日蝕月蝕同時におこる
理解するのは無理なのだ、きみの察知は早すぎる
解ろうとしても意味はない)

Pointed threats, they bluff with scorn
Suiside remarks are torn
From the fool’s gold mouthpiece the hollow horn
Plays wasted words, proves to warn
That he not busy being born is busy dying

(尖った脅しが威張り、あざけり
自殺の言葉をねじりとる
愚者の金のマウスピースから、空疎な角笛が
無駄な言葉を吹き鳴らし、結果的に警告する
生まれることに必死でない奴ぁ、死ぬのに忙しいんだと)

(…)

And if my thought-dreams could be seen
They’d probably put my head in a guillotine
But it’s alright, Ma, it’s life, and life only

(俺の心の奥の夢、透かし見られたら
きっとギロチンにかけられる
イッツ・オーライ、マ、それが命、生きること)

            ✳︎
ひとりでもブンジツだ、火乃絵にとりそれは書くこと。なにも文字だけでない、全身で生きるということじたいが書くことであるように、そういう風にわたしはなりたい。——

参考
『The Lyrics 1961-1973』ボブ・ディラン 佐藤良明訳、岩波書店。
『The Lyrics 1974-2012』ボブ・ディラン 佐藤良明訳、岩波書店。

水無月廿一日

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