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火乃絵のロクジュウゴ航海日誌〈scrap log〉 第二百十一日 7/28

いつしか航海よりも日誌の方が主体になる、というより日誌を記すことじたいが航海となる。——

だからといって日誌を書くために航海しているわけではない、航海日誌は、航海からの委託なのだ、そうでなければ火乃絵はこの日誌を海に擲ってしまうだろう……たとい海で身をおとすことになっても、未ざらし紙のこの日誌の方を救う、たぶんそれが海へ乗り出でた火乃絵に唯一可能の倫理だ。——

 今からちょうど二年前に、臼杵の近くにあるセメント会社の工場へ、粘土を運んでくる伊予の八幡浜の船が、豊後水道で難風にあって、六人の乗組みはことごとく死に、船とともに大浜村の浦に漂着した。その人たちはみな船の綱で、しっかりと身体を縛りつけて死んでいたという。郡役所の吉野君はこれを臨検に行ったから、よく見て知っている。今思っても涙が出ると言っていた。よくよく働いたものと見えて、六人ながら手のひらの皮がむけていた。十五、六になる少年がまず斃れたかと思われ、綱の一番細いところで船にくくりつけてあった。四人の若者も同じ綱に順々に結ばれて死んでおり、四十二、三歳の船長は最後に最も簡単で、太い縄でただ一重だけ、腰のまわりをゆわえていたという。こんな立派な覚悟はこの仲間でも見たことがない。いっさいの帳面と書き付け類、それから濡れてはいたが三百何十円の紙幣まで、ことごとく素肌に巻きつけてあったので、一行の書き置きもなかったが、顚末は即座にわかった。えらいものである。
   ——『海南小記』三 海ゆかば、柳田國男

第二百十日を書き上げたのはもうきょうの午前9じ前だった。航海日誌に一晩かかりきりになる船長(ひのえは代理だが、)がいるだろうか、そして火乃絵は火乃絵のいる幻想について書いていた。それもひとつの航海にちがいないが、ロクジュウゴという船がおざなりになってはしようがない、——火乃絵が代理であるというのもひとつはこの幻想癖にゆらいする、エイハブ船長の白鯨は実在するまぼろしだ、火乃絵の幻想はたんなる妄想か、そうではないのか、⦅幻想が向ふから迫つてくるときは/もうにんげんの壊れるときだ⦆———わたくしははっきり眼をあいてあるいているだろうか、

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銅版のような考えようで、火乃絵はきょうも運河をあるく。どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、たといそれがちがった空間にあるいろいろちがったものだとしても、それらはロクジュウゴ文化祭の準備期間にある火乃絵というひとりの仲間のたしかな日常のきろくとして、やはり記されなくてはなるまい。(ほんとうは火乃絵だけでなく、みんなのおのおののそういうたしかな記録があつまるといいのだが…)

けれどなにも、のこるものがえらいというのではない、話は逆で、むしろそれらのこされたものの集積によって、決してのこることのなかったわたくしたちの巨きなまっ白なすあしや明かるくはちきれそうなおもいが、小岩井のきれいな野はらや牧場の標本のように、いかにも確かに継起するということが、なによりだいじなのだ、それこそもはやどんな新鮮な奇蹟でもなく宗教風の恋でもない

der heilige Punkt  なのかも、
しれない…

さあなみだをふいてきちんと立とう、幻想を懶惰のゆめと片づけてしまわずに、その訪れにたいして責任をまっとうすること。…でなければわたしたちはいつまでも明確な物理学の法則にしたがうといい、これらはみんなただしくないといいながら、タネあるあらゆる幻想にいつまでも惑わされなければならない、性慾も恋愛も正しきねがいもみなわたしたちの肉体から発散して馨るゆめの光だ、おまえはそれを音にするのだ、どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは、そのさびしさで音をつくればいい、ちからのがぎり、そらいっぱいの、光でできたパイプオルガンを弾くのだ、それが火乃絵の想う文化祭。—
さびしさも悲傷も死者も未生のイノチも血も森も花やエメラルドや蟲や夢やまぼろしもすべて抱えて、じぶんとひとと万象といっしょに、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのみに行こう、虹や月あかりもある、ユリアやペムペルもいる、ジョン・レノンのあの夏の気耻しさはじける、八月のいまじんの青空の下へ

   《永遠のiはうちゅうの花コトバ》

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参考 宮沢賢治「小岩井農場」「宗教風の恋」「『注文の多い料理店』序」「告別」

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水無月十九日


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