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長島(4)

長島には、愛生園のほかにもう1つ、ハンセン病の療養所があります。邑久光明園がそれです。大阪市の淀川区にあった外島保養院がその前身です。

1934年9月21日、室戸台風が外島を襲いました。河口の低湿地帯にあった保養院は、高潮で壊滅し、入所者の3割に当たる173人が犠牲になりました。

再建したくても、ハンセン病への偏見がそれを阻み、遠く岡山の地に移された、という経緯があります。実は台風以前にも、保養院の移転計画がありました。

そのときも、予定地周辺の反対で挫折しました。「173人は、台風ではなく偏見の犠牲者だったのかも」という後悔が、長島を行く私たちの胸にも去来しました。

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